『え、竹富島にリゾートホテル?』

思わず絶句してしまいました。しかも、透明度抜群のコンドイビーチのそばに計画されていると報道されています。

八重山諸島の中でも竹富島は『古きよき沖縄』の原風景の残る特別な島。

この島に似合うのは日焼けした島の子供たちがかけていくサンゴの石垣のある未舗装の土の道や、どこからか聞こえてくる夕暮れ時の三線の音。

”リゾート”という言葉が似合う島はどこか他にあって、ここではない!

訪問者数ではなく、”真の” 人口密度に注目すると見えてくる島の現状

この数年間(2015-2019) に竹富島を訪れる観光客の数はなんと年間50万人にも膨れ上がっているそうです。つまり1日平均約1,300人。

竹富島の人口が360人ほどなので島にいる人口の3.6倍の観光客が毎日押し寄せているという計算になります。

これがどれだけ驚くような数字なのか分るでしょうか。

世界的な観光都市になった京都を比較の対象としてみると竹富島のおかれた異常な状況がよく理解出来るのです。

京都市の人口は2019年で147万人、2018年の年間観光客数が発表されている数字で5,500万人ですから、1日平均で15万685人、約1割の人が観光客である計算になります。

つまり、竹富島のほうが京都に比べて住民の方がうけている影響はより大きいのです。

さらに、面積的影響を加味してみると、京都の平均人口密度は1,700人/㎢。対して、竹富島は5.4㎢の面積の小さな島なので、66人/㎢。これが観光客を上乗せすると計算では320人/㎢。

この数字がどれほどのものかを実感するには、同じような人口密度である日本国内の別の街を調べてみるとよいです。竹富島の日常は、広島県東広島市や静岡県島田市などの地方の都市と同じほどの人口密度になってしまっているのが実情です。これは大きな驚きでした。

オーバーツーリズムに悩まされている京都以上に観光客の数的インパクトはより狭いこの島のほうが大きくなります。

島民にとっていかにこの状況が精神的にも負担が大きなものかが数字からは読み解けます。

ロードハウ島(オーストラリア)の例

明らかに異常な状況に感じます。そこで、竹富島の未来を想うに、実際に私が訪れた場所で参考にしたい例がありましたので紹介します。

それはロードハウ島。オーストラリアの沖合、タスマン海に浮かぶ絶海の孤島。

島の大きさは8㎢、竹富島(5.4㎢)よりは大きくてしかも島の北端には標高800mを越える山が2つもそびえたっている、壮大な自然があります。

海の綺麗さに加えて、この島はその独特の自然景観と生物環境によりUNESCOの世界自然遺産に登録されている点を付け加えておきましょう。

竹富島と地理的に大きく違う点は、ロードハウ島はオーストラリア本土から600Kmも離れた孤島である事。飛行機で2時間、しかも世界一高い航空運賃(航続距離あたりの比較で)。

八重山の玄関口である石垣島から目と鼻の先にある竹富島のアクセスの良さとは比べものにならないほど、不便なのです。

ロードハウ島の住民は約300人、竹富島の人口と似たような数字です。かたや観光客数はずっと少なくて、年間観光客数は約1万7,000人。95%がオーストラリア本土からです。やはり「絶海の孤島」である分遠い場所だからなのでしょうか?

いいえ、違います。

特筆すべきなのは、この自然を守るために、1日に島内に滞在出来る観光客の上限が400人と制限されていることです。

つまり島内で夜を過ごせる人数は最大300+400=700人(日帰りは出来ない島なので)。

人口密度に換算すると、87.5人/㎢。観光客の全く来ない住民だけの竹富島より少し人が多い程度です。

実際に滞在してみると、これ以上ない平和な日々でした。

島内は自動車の使用が制限されていて、誰もが自転車で島内を巡っているのを見ます。車の騒音がない点も竹富島と同じです。車の騒音もなく、静かな浜辺で海を楽しみ、登山を楽しみ、極上の滞在を楽しめました。

ただし、極端な離島と厳しい滞在人数の制限から、島内の物価は目が飛び出るほど高い! カップラーメンがなんと700円以上しました。

驚くような物価も、天国のような島に滞在出来るコストと割り切りました。何よりもこのお金は島の人々に直接落ちます。

ロードハウのように1日の入島者数制限により島の人口と同程度のビジター数におさえ、島の中の人口密度をシミュレーションしてみれば、住民にとっても観光客にとっても『快適な』観光客数が分かるはず。

せっかく足を運んだ離島に期待するものが、都会と同じ雑踏を感じさせる人の多さ、では島そのものに幻滅してしまう…

竹富島の真の輝きを見た『種子取祭』

竹富島に来るほとんどの観光客がフェリーで来る日帰り客。レンタサイクルでビーチへ行き、牛車にのって赤煉瓦の家並みをまわり、そそくさと石垣島へ戻ってしまう。そりゃ、石垣島を滞在ベースとしたら、竹富島は「安・近・短」のオプショナルツアーの目的地のようにとらえられてしまっても不思議ではありません。

石垣島に近いという竹富島のロケーションが不幸にも影響してしまっている。

何て、もったいないことだろう!

竹富島は他の島のついでに立ち寄る島ではなく、完全に独立した1つの目的地になりえる魅力のある島です。

島にはもとから島民が営む民宿が20軒ほどあり、ぜひ何泊かして島でゆっくりとした時間を過ごしてもらいたいものです。

レンタサイクルと牛車に乗って移動し、インスタ映えするビーチで写真をとり、「ハイ、終わり」なんて場所じゃあありません。

この島をほんとうに好きで味わうことを楽しみにしている旅行者がこころときめかすものは何でしょうか?

沖縄の原風景の残るこの島最大の価値を理解している人は、この島を他の観光地と同じものさしでは見ません。

この島の真の価値は『海と、神と共存した人の歴史』、文化的面を正視しないで竹富を語る事は出来ない。

その最大のものは秋の『種子取祭(タナドゥイ)』に尽きます。

この祭りに参加したことで、私の心の中で竹富島は単なる素晴らしい離島のひとつ、から特別な島に変わったのでした。

★『種子取祭』については次の記事もお読みください。

『種子取祭(タナドゥイ)見学記『竹富島で会いましょう』① 600年も続く奇跡の祭り』

もてなされないゲストになって旅が出来ますか?

オーバーツーリズムの問題と、今回のリゾートホテルの問題は一見、別の問題のように思えるかもしれません。

ですが、根っこは同じ。

それは、旅する人の目的地への想いが反映した結果がこの現実をもたらしている面があるからです。

『旅』とは、その場所で身体も精神も”同化 ” するまでの時間を過ごすことがその地の自然や住む人々への礼儀であるとさえ思います。

自分が完全にその土地になじんだ後には面白い反応が自分に起きてくるもの。

周囲の景観にそぐわない場違いなほど華美な商業感満載のホテルに宿泊したり、地元に受け入れられていないような商業施設を訪れても、どうもしっくりこなくなるのです。

新たなリゾートホテル開発は島民の猛反発を招いているようです。

それはやはり、その土地への『敬意』を払っていないがゆえに受け入れられていないヨソものだからなのでしょう。

(その点は安易に日帰りで島に上陸する旅行者側にも自問しなければいけないでしょうが)

その土地の本当の価値を都合よく曲げてしまい、利用している施設は結局、そこを愛してやまない真の旅行者からもソッポを向かれるに違いないと思うのです。

『ツーリズム』が地元の人にとっても『幸せになる手段』である限りは島はその価値を失わない。

同じ竹富島のリゾートホテル『星のや竹富島』は島民と一緒になってそれを考え、ともに結論を出したからこそ成功し、島に受け入れられたのでしょう。詳細は省きますが、星のやが奔走して一度外資に買われた土地を島と協力して買い戻し、住民にすべての議論に参加してもらって今のホテルがあるという経過と今回の新たなホテルの、島民へのアプローチや姿勢は全く違うものだと感じます。

ホテルは着工間近。

伝えられる経過を聞く限り、新たなリゾートホテルという『来訪者』が竹富の島民を本当に幸せにするかどうか、の言葉がどこからも聞こえてこない点がすでに不幸な結末を物語っている…

せっかく宿泊したホテルの門を出ると『島から出ていけ!』の看板。一休みしようと腰を下ろした喫茶店では宿の名前を聞かれた瞬間、『お断りします』…

そこまで島民があからさまに反発するかどうか分かりませんが、明らかにゲストは島からは歓迎されないのだろうと容易に予想されます。

地元に歓迎されていない訪問者になっての現地滞在、それはもうリゾートとは呼ばれないものになってしまうに違いありません。単なる苦痛です。

島民も、訪問者も誰も幸せにならず、お金だけが企業に(しかも島外の)に落ちていくリゾートホテル。地元の人にもてなされず、ホテルの中でだけもてなされるのであれば、竹富島まで来る『旅』の意味のほとんどはなくなってしまう。

今が正念場だと思います。

(世持御嶽のミルク様はリゾートホテルの件をどう想っているのだろう)