生まれてこの方、気分は最低ー!
日中何する事もなく、どうしようもない不安でただ1秒1秒時が過ぎて行くのを感じ過ごす。テレビを着けて流しておいても、気持ちは変わらない。夜は夜で寝床に入るのも怖く、恐ろしい「何か」が自分の身に起きてもいいように寝室につながる居間の電気を薄っすらと付けたままにして意を決して布団に入る。
耳が張り裂けそうに心臓の脈打つ鼓動音が感じられる。「ドク、ドク、ドク…」言いようもない不安、胸が締め付けられる感覚… 必死に抗う中、諦めの気持ち。「明日の朝、目が覚めるのだろうか…」
そして朝が来ると、空気を求めて朦朧とした頭を起こす。胸の中でサーッと血の気が引く。文字通り何かが体の中で動き、頭がフラつく。
慌てて血圧計を探し、数値が異常でない事を見て、ようやく気をとりなす。クッションを探し、ベッドの壁に支えを作って、持たれて大きな溜息を漏らす。背中が痛い。肋骨の下辺りも変な感覚だ。右胸の皮が引っ張られるようで、気持ち悪い…
「俺、もう終わりかな…」
この1週間、この繰り返し。
そう、心臓の手術をして、退院したのが9/12。その後しばらくは順調だった。日に日に元気さを取り戻し、元の健康な身体を取り返すため、歩いたりしていた。俺、元の元気な身体に戻れる!という実感があった。
違和感を感じ始めた10月終わり。夜中に息苦しさを感じ、何度も起きるようになった。
ひどい時は3度、4度と起き、そのまま1時間も布団の上に座り込んでいた。
しばらくすると、時々日中にもその症状は現れてきた。
不安を覚えて、退院した病院に再度診てもらう事にした。
「バイパス手術した所がきちんとしているか、カテーテル検査しましょう」
再び入院が決まった。検査とはいえ、カテーテルを動脈を通して心臓に再度入れるため、2泊3日の入院となる。
入院予定は週明け月曜日。ところが土曜の午後、胸が重く感じるように。沸き立つ恐怖心。無理を言って宵のうちに家族に病院へ送ってもらう。急患扱いで応急の血圧、心電図、レントゲン検査…異常らしい数値までではなかった。
もちろん大きな手術をしているので、少々の不整脈は出ているのは承知している。が、この胸の不快さは以前なかったもの。医者も念のためと、前倒しで入院を勧め、そのまま週明けの検査を待つ事になった。
下手にネット環境があるだけに、色々調べてしまう。あれこれと。「手術してもこれは心不全の症状じゃないのか?」「肺に水が溜まって苦しいのでは?」「痙攣性心不全だって?これか…」
頭の中がどんどんネガティブに冒されていく。
検査の結果は良かったけど…
そしてカテーテル検査。結果は…問題なかった。少なくとも手術は成功していてバイパスは出来ていた。一番心配していた心臓の悪化ではなさそうだった。
退院、戻って来た家。
当初は安心した。でも、症状はあまり変わらない。でも、気にしない、気にしない…検査は良かったじゃないか。でも…まさか…。
それでも日々を過ごす毎日。
数日前、左手のリハビリに再度日帰りで病院に行った。仕事で相方は数日家を留守にする事になり、その留守中の出来事だった。
リハビリを終え、院内の喫茶で食事を終え、立ち上がった際、頭がフラついた…
マズい。足元がよろめき、右足をひねってしまった。
慌てて急患扱いで診てもらう。足首を捻挫してしまった。幸い湿布処置となっただけだが、歩くのもしばらくは出来るだけ避けるよう言われた。
ただでさえ、沈んだ気分がさらに落ち込んだ…
あれから4日。ブログも全く更新せず。いや、携帯やPCさえ見るのも億劫だった。
ハピネスどころか、アンハッピーな言葉で埋められた文章を書いてどうするの?
「俺、このままどんどん身体悪くなっていつか…」
文字通り、ここまで辛く無力を感じた憂鬱な自分はいなかったと思う。
また、夜が来る… 嫌な。
そんな時、昨晩、相方が夜遅くに戻って来た。
俺にも届け、ハピネス!
帰って来た相方。あっけらかんとして、
「気持ちじゃない?」
実にさっぱりとしていた。え? メンタル?
「心臓、大丈夫でしょ。苦しくて救急車呼んだ訳じゃないでしょう? だったらゆっくり1つ1つ検査していけばいいじゃない」
弱気になった自分が恥ずかしかった。
「これも、ブログに書いちゃえば? 更新出来てないんでしょ?」
もう一つ言ってくれた。
『 「話す」ことは「放す」事でしょ? 他の人に話して、書いて放つ事で楽になるよっ!』
このヒトコトは効いた。本当に効いた。
相方と話して、それだけで、不安がサーッと引いて行った。
今日は仕事仲間が僕の家まで昼御飯を一緒に食べようと来てくれた。
たくさん話して、笑った。カテーテル検査でビビった話は笑い話になっていた。
明日は立花さんのブログ塾。前回は欠席している。昨日まではまた欠席の気持ちだった。相方が明日、僕を連れて行ってくれるという。自分の用事もあるのだけども、やり繰りすればなんとかなるようだ。
ここで気弱になっても仕方ない。
日課の左手リハビリメニューを終え、実に2ヶ月ぶりに趣味の沖縄三線を引っ張り出して来た。弾いてみる。もちろん滑らかに弾ける訳もない。手術後に一度手に取った時は全く指が動かせず、泣きそうになった。今日は… たどたどしくも、旋律がたどれる。
「島唄」「海の声」「島ぬ宝」… 嗚呼、メロディーになってるとは言いがたいけど、曲が何かは聴いていれば解るようにまで弾けているじゃ、ないか。
弾きながら、少し唄ってみる。
いつのまにか胸の違和感も不安も消えていた。
憂鬱なケニーはもうおしまいだ。自分がハッピーでなくて、どうして周りの人にハピネスを届けられようか。
俺にも届け、『ハピネス』!!
(三線も、山も、まだまだこれからもっと楽しみたいっ)