京さんぽ⑤ おみくじなし。お守りなし。御朱印もなし! それでも東本願寺には世界一のものを見に行く理由がある。

どうする?家康を最初に追い込んだのはライバルの武将たちではなかった。

大河ドラマ『どうする家康』が面白くなってきました。ケニーの地元でもある愛知県が舞台でもあり、馴染みの場所が多く出てきます。誰もが知る徳川幕府を開いた天下の家康ですが、生まれの地、愛知県三河地方を平定するまでには大変な苦労がありました。

周りを織田、今川などに囲まれ戦国のライバル武将たちとの抗争の中で家康は何度も『えらいことになったわ! どうするんや?』と悩みながらも成長していくのですが、窮地に陥るその度に家臣団たちに支えられて切り抜けていくストーリーが大河ドラマの中でもテンポよく描かれています。

家康が最初の大ピンチに陥り、生死だけではなく自分の治める「国」を失うかどうかまで追い込まれた最初の出来事は、数いるライバルの武将たちとの争いではありませんでした。

彼を追い込んだのは、一般の大衆、すなわち家康が治めるべき国に暮らす人々でした。

そう。家康と名前を変える前の松平元康に毅然として抗ったのは、地元、三河の一向宗の信徒たち(ドラマ放映にあわせたタイミングで安城市歴史博物館では三河一向一揆の展示が行われていました)

東西本願寺は浄土真宗。一向宗ではないのでは?

家康を窮地に追い込んだ一向宗。ドラマの中では、税を治める義務を免除された三河の本宗寺の巨大な境内に多くの人たちが集まり『南無阿弥陀仏』を唱えながら踊り騒ぎ、家康が顔を曇らせるのが印象的でした。

と。そのシーンにかぶせて、ケニーがよく知る言葉が続いて耳に入ってきて思わずドキッとしたのです。

『帰命無量寿如来、南無不可思議光…』

(ああ、これは… まちがいない、『正信偈(しょうしんげ)』じゃあないか)

岐阜県美濃地方の田舎に生まれ育ったケニー。小学校の6年間、毎日曜の朝、欠かさず行かされたのが近くのお寺でした。当時住んでいた集落の小学生はほぼ全員が集まってラジオ体操の後、集落の広場をランニングで数周すると、お寺の本堂に入り座ってお経を唱えさせられたのです。

令和の今では想像もつかないでしょう。いや、昭和の時代でも小学生が毎週末にお寺に出向いてお経を唱えているなどというところが他にあるとは聞いた事もない、とよく言われました。

一度、大手の新聞社が取材に来た覚えがあります。『昭和の時代に残る寺小屋』といった見出しで当時記事になったほどでしたので、全国的にも珍しかったはず。

そのお寺の住職は学校の先生でもあり教育に熱心な方でしたが、心身を鍛える場所として、毎日曜日に早朝からお寺を開き、子供たちの成長を長く見守ってきたのです。そして、毎日曜日の営みを集落の名前(岡村)を取って『岡の坊・日曜学校』と称し、教えの一環として読経があったのでした。

その時毎回唱えていたのが前述した『正信偈』という浄土真宗のお経でした。

そんな経緯もあり、今でも私は『正信偈』をそらんじていて、経本を見ずとも唱えられます。

(今でも家の仏壇の側に置いてある『正信偈』)

ですが、私の知るこのお経は『浄土真宗』のもの、つまり東本願寺の宗派であって、大河ドラマに描かれた『一向宗』とは違う宗派なのでは…。

頭の中に大きな疑問がわきあがりました。

そんな中、その東本願寺を訪れる機会がありました。大河ドラマと呼応して徳川家ゆかりの名刹の特別公開が全国で予定される中、東本願寺でも、普段入ることのできない書院などの特別拝観が催されることになり、歴史好きな私はさっそく申し込んで参加したのでした。

(ドラマで浮かんだこの謎も解けるかもしれない…)

そんな期待が背中を押し、安くない参加料を払って京都へ向かったケニー。そしてそこで見たものとは…

奈良の大仏殿を凌駕する圧巻のスケールの建造物

「な、なんじゃこれはぁぁぁ!」

京都駅から徒歩でわずか5分ほどの東本願寺。そんな便利な場所にありながら、なぜか京都へ行く人の口から名前を聞く事がほとんどない不思議。観光には魅力がない、ただの寺院なのか?それともあえて人に来てほしくない観光客謝絶を貫くコテコテの信仰優先なのか?

清水の舞台や金ピカの金閣寺などのようにイメージも特に湧かず、それでも『特別拝観』というぐらいであるから、御利益か何かぐらいはあるだどう…でも見どころ、としては特に何もないのだろうな、と正直事前のワクワク感などは皆無でした。

ところが門前に立った瞬間からいきなり脳天直撃、アメージングワールドに飛ばされてしまいました。

いきなり目に入ってくるのは巨大な門。大きすぎて思わず全容を見たくて後退りしてしまい、大通りに体が出て車にクラクションを鳴らされてしまった。

この巨大な門の名前は『御影堂門』。高さでは知恩院の三門を凌ぐ京都一。いや、木造建築の二重門としては日本一の高さを誇ります。その高さ何と27メートル! ガンダムより高い(笑)。

(この日、御影堂門の前に寝そべっていた巨大なこけしの花子。昨年も清水寺の仁王門前に登場したのを見ました。
今年は東本願寺の飛び地境内、渉成園(枳殻邸)が「アーティスツフェアキョウト」の会場となったことから、東本願寺御影堂門前に2月下旬にお目見えしたらしい)

のっけから巨大なモノばかり見せられて驚かされますが、門をくぐるとさらにこれを超える巨大な建物に度肝を抜かれます。

この建物の名は『御影堂』(ごえいどう)。

浄土真宗の宗祖・親鸞上人の御真影が安置される最も重要な建物で、中は畳972枚が敷かれた想像を超えた広い空間でした。

内部は撮影が禁止されているため写真はありませんが、床面積では奈良の大仏殿を凌ぐサイズ。いや、中国の紫禁城よりも大きい世界最大級のスケール。おそらく1,000人は収容出来るはず。

(という事は木造建築物としては世界一?)

となるわけですが、木造建築物面積としてはやはり世界一のようです(高さ、容積など違う物差しで「世界一」の木造建築物は別として)。

隣にはこれまた負けず劣らぬ大きな『阿弥陀堂』が立ち並び壮観です。

こちらにはご本尊の阿弥陀如来が安置され、内陣は金ピカ。まさに極楽ワールド全開でした。

ところで、なぜこんなにも巨大な建造物ばかりがあるのでしょう?

それは浄土真宗の信者の数を知れば自ずと分かります。

浄土真宗は今でも日本での仏教最大宗派。数字の上でも文化庁の『宗教統計調査結果』で明確に記されています。東本願寺は浄土真宗の中でさらに別れる『真宗大谷派』の総本山で、門徒数実に790万人、所属する寺院数は全国に8,900を数える超巨大組織。

それだけの人が参る本拠地。年1度必ず門徒が参拝のために来ると仮定すれば、毎日平均で約2万1,000人が来る計算になります。プロ野球やサッカーJリーグ顔負けですね。

という事は、本山にはそれだけの参拝者数にかなうだけの巨大な空間が必要であったのでしょう。

(廊下を歩く人を見ると建物の大きさがよくわかる。 2023.3.11)

楽しみにしていたおみくじが・・・ない!?

思いがけない東本願寺のインパクトに俄然ひとり盛り上がってきたケニー。特別ツアーの集合時間にはまだ余裕があったので、時間のゆるす限り広大な境内を散策した後、おみくじを引こうと社務所をさがしました。

『あのー、おみくじはどこにあるんでしょうか?』

社務所らしきものが見当たらず、ツアーの集合場所の目の前にあった『宗務所』なる建物に入って聞いてみたのです。

ところが返ってきた答えはというと…

『すいません。おみくじはございませんので… あと御朱印やお守りの販売なども行っていません。』

なんですと!

見渡すと売店らしきものは建物内にある。足をむけてみると売られているものは数珠や線香、お菓子や親鸞聖人の教えを伝える書籍などなど…。 

で、確かにおみくじやお守りのようなものはない。厄除けや開運、あれやこれやの祈願成就を願うお札などはどこにも見当たりません。

納得がいかないケニーは、何故なのかもちろん聞いてみましたよ。

『阿弥陀如来様は皆さんを必ずお救いになります。ですから縁起の良し悪し自体が関係ないんです。』

「救っていただくのはありがたいのですけど… いろいろこちらにもお願いしたいことがありまして…(金運とか、開運とかね、あとご利益とかも大事じゃないの!)」

と心の叫びを抑えて丁寧に反論してみると

『ご自分の欲を阿弥陀如来様にお伝えしてもお聞きになってくださりません。そのかわりにお念仏を唱え阿弥陀如来様を信じる皆さんはかならずお救いします。はい、これだけは100%コミットです!』

つまり…こういうことらしい。

親鸞の教えは『阿弥陀如来を信じれば、この苦しい現世から救われる。誰もが、厳しい戒律や修行に縛られずとも、罪人であれ救われる』というもの。何と、全ての人が、しかも生きている時から『生死解脱(苦しみから解き放たれる)』がかなう、ある意味、最強の教えが浄土真宗。

過酷な修行も、出家(悟り)もなくただ『南無阿弥陀仏』と阿弥陀如来を信じれば良いのですから多くの人に広まったのも納得です。

死に際しても、全宇宙最強の阿弥陀如来が最速で極楽浄土に迎えに来てくれて、仏になるのだから魂が彷徨っている暇もありません。冥府の審判すらないのでしょうね。『臨終即往生』、つまり死んだ瞬間には極楽浄土で仏様となっているため、死出の旅路のため足袋をはかせたり六文銭を棺に入れる事も不要。

降りかかってくる不幸を避け、不安を無くしたい… そのような気持ちで人はおみくじを引き、お札をいただく。つまりは…そんなものは不要ということなのです。

何せ、”全部救ってもらえる” のですから、願掛けも、縁起ものも、なぁ~んもいらへん、心配せんと、ほれ、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ… ああ、ありがたい、ありがたい…というのがまさに浄土真宗ということか。

お守りも、お札も、確かにいただいた『自分だけ』のご利益だ。仏さまが自分を特別扱いしてくれているようなものだと気が付けば、なるほど、100%すべての人をすくってくださる阿弥陀如来を信ずれば、それで十分ということなのです。

ということで、浄土真宗のお寺ではそもそもおみくじが売られてはいなかったということでした。

観光資源としてはお寺にとって魅力的なアイテムではあるはずなのですけどね…

ピープルパワーに徹した『世界一』の寺院

もともとは『一向宗』と『浄土真宗』とは全く異なる宗派であったはずでした。

親鸞の教えは阿弥陀如来、ただ一本。取り巻きの仏様もなく『阿弥陀仏一仏に向かって信じるのだ』という教え。実はこれはお釈迦様が導きだした結論なのですが、親鸞がこれを強調していく中で『一向宗』と呼ばれるようになり名前が一般化していった経緯があります。その中で時宗の一遍聖人に同じく『踊り念仏』が宗徒の間でも広まっていきました。今は浄土真宗が正式な名称ですが、ドラマの中で『正信偈』が一向宗の立てこもる寺で唱えられたも納得です。

隣の人が目を輝かせ一心不乱に『南無阿弥陀仏』を唱え踊るのを見て思わず一緒に踊り出すのと、カラオケで見知らぬ人と肩を組んで同じ歌に盛り上がって意気投合するのには大きな違いはありません。

東本願寺の求心力、それは言い換えればピープルパワーそのものです。ここまで救ってくださる慈悲の大盤振る舞い、阿弥陀如来様、もう最高っ!! 俺っちも信じるからさ、お前も信じてみようさア。

生きていくだけで苦しい乱世では誰もがこんな気持ちになっても不思議ではありませんよね。

東本願寺の建物はほとんどが『禁門の変』で焼け落ちてしまい、いまの御影堂や阿弥陀堂なども明治時代の再建です。

今回特別拝観の対象となった通常は非公開の『大寝殿』の大きなみどころは、明治京都画壇の中心にいた竹内栖鳳による障壁画。幕末の争乱で燃えた本願寺の再建に地元の画壇人たちがおおいに協力したのです。

(『古柳眠鷺』竹内栖鳳 昭和9年(1934)  東本願寺 大寝殿 2023.3.11)

建物の大きさが世界一である前に、ピープルパワーの結晶ともいうべき点こそが東本願寺の誇るべき「世界一」であるような気がしたのでした。

後年、あれだけ三河の一向宗に苦労した徳川家康も、豊臣家との抗争が理由とはいえ、かつて争った一向宗の東本願寺に土地を与えています。

おいおい、どうする、いや『どうした』んだ、家康

三河一向一揆の時の苦い記憶があってなお、ピープルパワーの力を覚えていて今度は逆に自分がうまく使おうとしたのかもしれません。

本願寺に関しては家康は『泣くまで待つ』ことはしなかったようですね。

(通常非公開のエリアから見た裏側からの『勅使門』はあの亀岡末吉による 2023.3.11)

(御影堂門前にある独創的な蓮の形の噴水のデザインも実は竹内栖鳳 2018.3.30)

●東本願寺(正式名称:真宗本廟)

ウェブサイト https://www.higashihonganji.or.jp/