歴史と自然の宝庫 – 『猿投山』の魅力とベストビュー

『ザゲる』が合言葉。

YAMAPの発表する「今年登られた山」ランキング。北海道、東北、関東などエリア毎にユーザの活動報告の投稿数が多い山の順位が、毎年発表されていますが東海エリア(愛知・岐阜・三重・静岡)で2021,2022年と2年連続堂々1位に輝いている山、『猿投山(さなげやま)』

名古屋市近郊の低山で、標高629m。名古屋や豊田の市街地からのアクセスも便利、初心者から熟達者まで楽しめる山ということで、最近では『愛知県の高尾山』とまで呼ぶ人もいるそうです。

愛知県瀬戸市在住のケニーにとっては、この山はほとんど「裏山」のような感覚。

2005年のEXPO2005 愛・地球博の会場の一つにもなった瀬戸の『海上の森(かいしょのもり)』。当時、オオタカの営巣が確認され自然保護運動が高まり全国的に注目された場所ですが、ここからも猿投山に向かって長い尾根が伸びていて登山ルートがあります。豊かなこの森は広大な猿投山麓にあります。

アルペン的風貌からは遠く離れたもっさりした山容。登山コース途中も樹林帯がほとんどで、山頂にたどりついても大展望があるわけでもなし…。

今日もあたりまえのようにそこにある「裏山」になぜこれだけの人が登りに来るのか。『猿投山』の魅力を伝えようとすると最初は正直、一瞬考えてしまいましたが、数えきれないほど眺め、登ったこの山の過去の写真を眺めているうちに、その魅力がだんだんと思い起こされてきました。

今だから書けますが、身近にある山だからと「あたりまえ」に思っていたものが、実はとても貴重で、素晴らしい歴史と自然に彩られた稀有な価値のあることに気が付くことになったのです。

(西中山町から眺める緑豊かな猿投山の南面 2021.8.4)

これまで私の山仲間の間では『でもしか山』になっていた猿投山。

「週末に猿投でも行くか」「日曜は午後予定があるから遠くにはいけないから、猿投しかのぼれないかなぁ」などなど… 日頃お世話になっている山なのにちょっと失礼ですが、肩ひじ張らずふらり出かけられる近くの山といえばどうしてもこの山になってしまう。

(秋葉山から見た猿投山とのどかな木瀬の農村風景 2017.5.19)

「週末、天気よくないな… 鈴鹿まで行ってもこれじゃなぁ…」

『家にいてもなんだし』

「仕方ないな、困った時の猿投か」

『じゃ、ザゲるか。

「うん、ザゲよう。

こんな具合で出かけられる。いつの間にか猿投山に登りに行くことが、『ザゲる(猿投山に登りに行く)』の一言で通じるように。

(紅葉の東谷山山頂から見た猿投山 2019.12.1)

『猿投山』この変な名前。干支に関係しているようで、「兎岳」「竜ヶ岳」などのように単純な「猿山」でもなし。

その名の由来はかなり古く、12代景光天皇がかわいがっていた猿が関係していました。天皇が伊勢に詣でた時、飼っていた猿のいたずらがあまりにもひどいので、伊勢湾へと捨ててしまった(ひどい…)。その猿がこの山(もとは鷲取山)に隠棲した、との話が麓の『猿投神社』の古文書に書かれていたのが由来とされています。(岩巣山展望台より緑の谷の彼方に猿投山 2018.5.4)

えっと… それじゃ、猿が何かを投げたわけではなく、「投げられた猿」が正しいのですから、本当は『投猿山』? いや、それよりも伊勢湾からここまで泳いで戻り山の中に引きこもるとは、アスリート顔負けのお化け猿です。

…などと言ってもねぇ。それでは、週末に気軽に『ザゲる』とも言えなくなってしまうから、このままの名前のままでお願い。

(豊田市 鞍ヶ池付近より 2022.8.18)

身近な地元の山、実は歴史も自然も素晴らしかった

この話がなんと西暦81年ごろの話…ということは古墳時代どころか、教科書にも書かれた「金印」を倭の国王が後漢の光武帝より授かったころ。それほど猿投山と猿投神社は古い歴史を持っている。

猿投神社の社伝によると、仲哀天皇の勅願で創建されたのが西暦192年、2世紀後半。

(猿投神社 中門(左)・拝殿(右)  2015.5.31 )

(猿投神社の親子申彫物と、干支(猿年)のお守り  2016.1.3)

話には続きがあり、この猿は後年、『日本武尊(やまとたける)』の東征の際に従軍したのだそう。

12代景光天皇が最初に東征を命じたの別の息子『大碓命(おおうすのみこと)』は。これをいやがり美濃へ逃げたあげく、最後はここ猿投山で毒蛇に噛まれて死んでしまい、今では猿投神社の御祭神になっている…。

自分を海に投げ捨てた主人の皇子の代わりに戦に出て奉公するとは、やはりかわいがってくれた天皇を相当に慕っていたのでしょうか。

(名古屋市最高峰の東谷山は元日の朝、猿投山の肩から日が昇る 2020.1.1)

(本岩巣山頂より新緑の海の彼方に猿投山 2013.5.26)

(昭和の森より 2014.9.14)

ともあれ、古い歴史ある猿投山。

猿投神社の奥社は2つあり、西宮・東宮あわせ猿投三社大明神。

(椿咲く東宮 2016.1.3)

猿投山の山頂。朝早くより多くの人が登って来て賑やか。(2014.6.8 猿投山の山頂)

(2016.7.18)

ここには一等三角点がありますが、最高点ではありません(2022年5月より最高点は神域として神垂縄のついたロープで囲まれて立入禁止)。

山頂へ至るコースの案内などはいまやヤマレコやYAMAPなどを調べればあえて紹介するまでもなく数えきれないほどあるのでここでは割愛しますが、豊かな自然を楽しみたいのであればテッパンの猿投神社からの往復ではなく、雲興寺起点の瀬戸側からや、清流を楽しめる南の広沢側です。

(見事なシダの群生  赤猿峠から雲興寺への下りにて 2013.6.2)

(猿投七滝の一つ、広沢の滝は落差25m 2014.7.21)

健脚ならば海上の森から西尾根のロングルート、歴史に触れる武田尾根、東尾根など。

私の好きなコースは

① 猿投神社から猿投山、猿投温泉へ下山し温泉を楽しむコース

② 猿投山から北尾根を戸越峠に下り、折平山から三国山への縦走

③ 広沢西尾根から西宮を経て山頂

でしょうか。ディープな猿投登山に興味がある方は『猿投山の達人』さんのブログを調べてどれほど歩ける尾根や谷がある見ていただければ、この標高で700mもない里山の奥深さに驚かれるでしょう。

ともあれ、全く展望が期待出来ないわけではなく、空気の澄んだ日にはアルプスも遠望出来ます。

(中央アルプス 2017.12.30)

(御嶽山は三国山のアンテナ群の奥に見える 2017.12.30)

猿投山には多くのルートがあると書きましたが、実は猿投山そのものを登山中に見ることが出来る場所は極めて少なく、わずか数か所しかありません。バリエーションコースに近いルート中にある場所もあり、一般的な猿投神社からの登山道や、瀬戸側の雲興寺ルートから見ることはほとんど不可能。

(西尾根より 2023.5.21)

 

(北尾根から山頂 2020.12.12)

(東尾根より遠望 2015.5.31)

猿投山を彩る四季の花たち

猿投山の領域は相当に広いため、場所や季節を違えてたくさんの花との出会いがあります。そのいくつかをフォトで紹介。

(コアジサイ 戸越峠 2013.6.4)

(ヤブカンゾウ 広沢神社付近 2014.7.21)

(アヤメ 雲興寺登山口 2013.5.22)

(サギソウ 雲興寺登山口  2014.8.26)

(コオニユリ 戸越峠 2013.8.7)

(チゴユリ 小長曽陶器窯跡 2018.5.4)

(テイカカズラ 戸越峠 2014.6.18)

(ホタルブクロ 戸越峠 2014.6.19)

(ハルユキノシタ 東尾根取付 2015.5.31)

(ジャケツイバラ 戸越峠 2013.5.20)

(アカメガシワ 戸越峠 2013.7.18)

(スズカカンアオイ 四ツ沢付近 2015.2.21)

(ガクアジサイ 広沢林道 2014.7.21)

なお、田中澄江『新・花の百名山』に猿投山に咲く花として紹介されているのはセンボンヤリ

猿投山麓の猿投神社。実は日本最古の大鎧まで所有していた!

『後三年の役』で功績のあった三河武士・伴次郎助兼が寄進した平安時代 12世紀作の大鎧『樫鳥糸威鎧大袖付』(重要文化財)を所有している(東京国立博物館に寄託)する猿投神社。

(2022.8.21に東京国立博物館で本物を鑑賞出来た『樫鳥糸威鎧大袖付』。写真は昭和12年小野田光彦作の模造。平安時代当時の色合いが復元されている 2017.10.13 東京国立博物館 本館)

愛される山、猿投山。

最初に『猿投山』の魅力を伝えるのに躊躇してしまうかも、と書きましたがそれは大きな間違いのようです。書き出せばこのようにいくら書いても足りないほどです。今日もたくさんの人が登っているであろう、私にとっての『裏山』がこれほど愛されているのを改めて知ると、何となく誇らしい気持ちになります。

是非、猿投山へ出かけて(ザゲって)みてください。

(登山者には馴染みの山頂のマスコット 2020.12.12)

(暮れゆく猿投山 東谷山より 2020.12.20)

【猿投山】