山の花の記憶⑦セツブンソウ (伊吹山・秩父)

春浅い伊吹嶺に咲く小さな妖精

雪国に一番に春を告げる花といえばセツブンソウ。名前の通り「節分」の時期に花開くと思われがちだが、多くの場所では2月中旬をすぎて3月初旬までが見頃となる。

セツブンソウは本当に小さい。花の大きさは僅か2センチメートルほど、丈も10センチほどのものが大多数。初夏に咲くニリンソウに近い大きさだと思えばわかりやすいかもしれない。が、ニリンソウほどにあちらこちらで見ることがかなわないほどに見る機会は年々減ってきている。群生地そのものが圧倒的に少ないので、山に分け入っても見つかるのは数株程度であることが多い。

そもそも花が咲くまでに数年はかかるそうだ。ニリンソウは多年草なのでこれだけでも目にする機会が大きく違うことがわかる。

同じキンポウゲ科の花でもここまで大きく違うのはなぜだろう?

セツブンソウが好むのは、一日を通して日があまり当たらない半日陰(気温差が少ない)の石灰岩質の土壌。群生地は山の中よりもむしろ山裾にあることの方が多いのに気が付く。それは神社の境内であり、民家の裏庭、山あいの田んぼや畑の斜面であってニリンソウとは大きく違う。下草がきちんと刈られた場所でないと育たない。

登山で山に分け入ってもセツブンソウの群落を見たという話は聞いたことがない。思うに気温差が激しすぎるためではないだろうか。伊吹山の山頂にはニリンソウが見事な群落を作り、花の時期には歓声をあげたくなるほど見事だが、同じ石灰岩を好むセツブンソウを山頂台地で見ることは皆無だ。草原の広がる山頂の台地では太陽が当たりすぎるて生育出来ない。

セツブンソウはよりデリケートで、生育に適した場所そのものがかなり限られているのが、目にする機会の少ない理由だろう。

種子から発芽することを、『実生(みしょう)』と呼ぶが、セツブンソウの繁殖方法はこれ以外にはない。多年草には根や茎から繁殖して花を咲かせる栄養繁殖が出来る花も多く、ニリンソウがあれだけの大群落を作るのもこの栄養繁殖のおかげだ。

山の中で目にするセツブンソウは群生しているのは少なく、石灰岩と同じようにカルシウムやマグネシウムなどが豊富な弱アルカリ性の土壌である緑色岩地(蛇紋岩)の秩父山地などで出会えるが、やはりある程度の規模のセツブンソウの群生地を探そうとすれば限られてしまう。その一つが豪雪地で昔から名高い滋賀・岐阜の県境にそびえる伊吹山の麓、大久保という集落にある。

『世界一の豪雪の山』の麓にひっそりと咲くスプリング・エフェメラル

濃尾平野の西北に大きく屹立する伊吹山は深田久弥の日本百名山にも数えられる名山。標高は1,337メートル。山麓の関ケ原から見上げる姿は秀麗で昔から歌にも歌われてきた。『古事記』にはヤマトタケルノミコトの伊吹山での荒神退治伝説が書かれている。東征を終えた彼は三種の神器のひとつ、草薙剣を熱田神宮に預けて、伊吹山へと昇っていくが、逆に神の化身の猪がよんだ雹(ひょう)に打たれ命からがら山を下り、醒ヶ井で意識を取り戻して西に向かうものの傷が癒えず三重県の野煩野(のぼの)で命を落とす。

平野からよく見えるこの山はその後も麓の人々から信仰の山として崇拝され歴史の舞台にもたびたび登場する。姉川の合戦は伊吹山のすぐ西で行われ、織田信長は日本初の薬草園を山腹に作った。そして、日本史上で誰もが知る武士の世を決めた戦いー天下分け目の合戦で知られる「関ケ原」は伊吹山の南東麓に位置している。今は大雪のたびに高速道路や新幹線が止まる場所としてその名前を耳にすることも多い。

日本地図を見てみると、ここは本州で最も狭くなった場所で、若狭湾と伊勢湾に挟まれた地峡であるうえに、南には鈴鹿山脈の霊仙山、北には伊吹山がある。日本海からの風や雲はこの狭い場所に集中して太平洋側に流れようとする。

独立峰の伊吹山には大量の日本海からの湿気がぶつかるため、このような大雪に見舞われる。わずか標高1,337メートルの山が豪雪地帯になる理由はこの山の地理的な位置による。

実はこの山、世界で一番の積雪記録を持つ、とんでもない山。1927年2月14日、伊吹山頂にある測候所の観測によるとその日記録された積雪はなんと11メートル82センチ。 「清水の舞台の高さと同じ」まで積もった雪の量はギネスブックにも記載されている。

大久保の集落は伊吹山の西、先に述べた姉川の古戦場からその姉川をさかのぼった山あいにある。 山道を歩く必要はなく、舗装路ではあるが、坂もあって残雪が残っている時期でもあるので靴には注意が必要だろう。セツブンソウは小さな花で、ほかにも多くの早咲きの花が咲いているので硬い靴で踏み込んで花をつぶしてしまわないようにしたい。

(春浅い伊吹山麓、大久保集落。セツブンソウがひっそりと咲く 2015.3.15)

最近は訪れる人も増えてきたが、車を停めるスペースが少なく、少し手前にある駐車スペースから歩いていきたい。目立つ大きな案内板がないので、戸惑うかもしれないが、そんなときはまず、集落にあってすぐに分かる手打ち蕎麦屋『久次郎』に立ち寄るのがいいかもしれない。

週末と祝日のみの営業なのだが、ご当地名物の『天領伊吹大根おろしそば』がとても美味しい上に、店内にセツブンソウのフォトギャラリーや自生地の案内版などもあるのでありがたいのだ。

お腹を満たしたらのんびり歩いて数分の散歩だ。

セツブンソウの自生地は2か所。見事に満開だ。

素晴らしい群生なのだが、積雪のある時はこうはいかない。一面真っ白な雪野原であることも多いのだ。

セツブンソウはとても珍しい構造をしていた

セツブンソウの花はとても面白い構造をしている。

白く見えるのは実は花ではなく萼片。一見雄しべに見える中央の頭が黄色の棒状をした部分が本当の花。さらに中央に向かって白くしなだれたように見えるものが雄しべで、雌しべは最も内側にある。

地域によっても微妙な違いがあるセツブンソウ。萼片は基本5枚だが、八重咲きのようにたくさんの個体もある。色合いも関西と関東では微妙に違う。雄しべの付き方、雌しべの密集度合いなど個体によっても違いがあるし、何より不思議なのはその背の高さの違い。地面にいきなり花だけ咲かせているような密集地もあれば、背が高い群落もある。日の当たり方や積雪量など生育環境が違うからなのだろうが、この点ほぼ均一的なフクジュソウなどと違って個性があって面白い。

白く見えるのは萼片。本当の花は中央の黄色の部分。

フクジュソウと違って雪が積もると同化して花が咲いているのがわからなくなる。花の見ごろであるわずか2週間ほどの期間、いつも積雪の具合を気にしながら行くタイミングに悩むのが、セツブンソウ。

セツブンソウ咲く山里から見上げた伊吹山。花の見ごろは2月であったり、3月にずれ込むこともある。

山里のセツブンソウばかり書いてきたけれども、やはり山道を歩いていて自生の花を見つけるのは本当に嬉しい。(鈴鹿 藤原岳 孫太尾根に咲くセツブンソウ 2021.2.28)

秩父では稀に紫色の雄しべが白いシロバナセツブンソウを見るが、まだ自生の株にはお目にかかったことがない。アルビノ(遺伝子疾患でメラニン色素が欠乏した)の個体だという。葉や茎も色が退化して明るい緑色になっている。

そこまで極端に違わないまでも、伊吹山麓のセツブンソウと同じ石灰岩地帯の秩父のセツブンソウも雄しべの色合いからしてずいぶん違うように見える(秩父の花の方が濃い)。

(秩父市吉田石間字沢口のセツブンソウ 2023.2.26)

地域によっても随分と違う。花の少ない時期に咲くだけに毎年違う場所を訪ねて見比べるのも面白い。そんな楽しみ方が出来る花だ。

【セツブンソウを楽しむ】

●長野県 千曲市 戸倉地区、倉科地区

●埼玉県 小鹿野町両神『堂上節分草園』

規模の大きさでは日本有数。

●滋賀県 甲津畑 

●長野県 塩尻市 上島、日出塩

●岡山県 美作市河会山

●広島県 庄原市総零領町

【セツブンソウ】

キンポウゲ科 セツブンソウ属

和名「節分草」

日本固有種。本州の関東以西の太平洋側に咲き、石灰岩を好む。

名前とは違って花の開花は節分の時期より遅い。

環境省レッドリスト準絶滅危惧(NT)

田中澄江『花の百名山』6 武甲山(埼玉県)

花言葉「微笑み」「光輝」

英文名 Eranthis pinnatifida 

(黄色の花咲く園芸品種・セイヨウセツブンソウはエランティスと呼ぶ)