『京都の古寺社に行きたい』
『登山とまではいかないまでも、ハイキングを楽しみたい』
『でも、人が多い場所はイヤ。混雑しているところはうんざりする』
もう桜の季節は終わり新緑のむせかえる香りがうれしい5月。
お天気のよい週末に気軽に出かけたい、でも静かに歴史や自然を楽しみたい(あまり汗もかかずに)。
なかなかにハードルが高いリクエストです。
思案の末に思いついたのが、この『上醍醐』でした。
『醍醐の花見』で知られる醍醐寺
京都市内からは離れていて、比較的静かです。
有名な桜の時期はそれなりに人がおしかけて混雑するのですが、この時期はひょうしぬけするぐらい人が少ない。
五月晴れの空の下、広い境内には人がほとんど見当たらず。
決して広いとはいえない駐車場ですが、入口の渋滞もなく、すんなりと車も止められてしまいました。
観光バスらしき車もない。 朝の静寂の中、桜馬場と呼ばれる広い参道をゆっくり歩いていきました。
ほどなく左にあるのが塔頭の三方院。拝観料を払って入場します。
ここには国宝の唐門があります。
『醍醐の花見』に際して、秀吉が自ら作庭したといわれている三方院の庭。
御朱印は三方院内にある事務所でいただけます。
三方院から出て、桜馬場をふたたび奥に歩くと、西大門につきあたります。ここから伽藍へ入ります(有料)。
西大門にある、平安時代後期の長承3年(1134)に仏師勢増・仁増が造立した仁王像。
京都市内で一番古い五重塔。
青空に映える塔を見上げると、飛櫓垂木や地垂木が素晴らしいっ!
醍醐寺の境内は西から門をくぐり東にむかうので、正面からは午前中は逆光になってしまいます。
この写真も東から見上げたものです。
このような塔を入れてセルフィーで写真を撮りたいのであれば、カメラを思い切り地面スレスレにつけて仰ぎ撮影すればイイです。
ほら、この通り。
むせ返るような新緑の中、伽藍を歩いていきます。
林泉(りんせん)と呼ばれる池の向こうには弁天堂。このあたり、秋なら醍醐寺で一番の紅葉の素晴らしいところです。
伽藍の最奥にある日月門を出ると、木陰の中に入り、山道があります。ここからが、いよいよ上醍醐への山道です。
以外と本格的な山道でした。石段がちょっと続いている程度だろう、と思ってろくに下調べもしていなかったので少々面喰いました。
足回りはキッチリと山道を歩くために準備してきたので、心配はありませんが、スニーカーやハイヒールではちょっとキツい…というか、無理です。
なお、上醍醐の登り口には、昔、女人禁制であった上醍醐を参る女性のために建てられた『女人堂』の建物があり、ここから有料となります(下醍醐の三方院・伽藍・霊宝館の共通拝観券とはさらに別)。これには理由があります(後述)。
上醍醐へ
本格的な登山道に近い急坂を登る事20分ほどで、尾根上の平地に到着。
案内の立札をみると書いてあります。
『槍山(豊太閤花見跡)』
ご覧のように、周りには何も…ありません。
ですが、秀吉が執り行った壮大な花見は、間違いなくココで、行われたようです。
こんな山奥に、わざわざ桜の木を数千本も植えた上に、茶屋まで作らせて花見をするとは…
醍醐山が花の名所であったわけではなく、わざわざこの醍醐の山に桜を持ってきてまで花見をする必要がどこにあったのか? これも後に書きますが、ちゃんとした理由があって秀吉はここを選んだのです。
ようやく急な登りが終わりました。上醍醐の境内の一角に登りついたようです。
山道はここから一旦少し下って、再びなだらかに坂を上がっていきますが、さきほどのような急な坂はもうありません。
ただし、ここから最奥の開山堂まで急いでもまだ15分はあります。山上の伽藍をゆっくりと散策したい方は、遅くても2時ぐらいまでにはここに着いておきたいものです。
ふと左を見上げると、いきなり崖から落ちてきそうな作り方の建物が…
清瀧宮拝殿です。清水寺の舞台のように、山腹をわずかに切り開き、全面が崖にせり出した懸造り(かけづくり)の建物。1434年、室町時代の建立の国宝建築物です。
拝殿の上には本殿があり、写真にある美しい如意輪観音像が祀られていました。
(『京都・醍醐寺 真言密教の宇宙』サントリー美術館 2018年9月会場ポスター)
ようやく醍醐水です。醍醐寺の名前の由来となった名水。
『醍醐味』の言葉の由来となったように、確かに美味しい水でした。しかし、こんな山奥でよく見つけたなぁ、開祖の聖宝、えらい!
石段をさらに登ると突然に開けた場所に。工事現場の跡地よように殺風景すぎて、違和感があります。
『火の用心』なんて、のぼりがポツンとあるのも変だ。
地図を見ると、ここには西国三十三観音霊場の一つである准胝堂(じゅんていどう)があるはず。
実は2008年8月の落雷で燃えてしまい、今は更地のまま。准胝堂の勧進のために上醍醐への入山が有料になっていたのでした。
『火の用心』ののぼりにも納得です。
さて、ここからさらに奥に歩くと突然現れるのが国宝の薬師堂。
見事な建物が目に飛び込んできました。
霊宝館に安置される大きな薬師三尊像(国宝)はもとはここにありました。
こんな険しい山の上に、巨大な彫像が!?
信仰心というものはスゴい。人は何かを信じると、ものすごいパワーが出るものだとつくづく感じました。
疑ってはいけない、いや当時の世の中は生きると死ぬが背中合わせの日常だったはず。「死」がもっと身近に感じられる生活の中では、何かを信じて一心不乱にそれにすがりたい気持ちが芽生えるのは当然か。
逆に言えば、あらゆることを「疑って」しまえる今の世の中では、純粋に何かを信じる事が難しくさえ思えてしまう。
ここが本当の『醍醐寺』
やがて到着する、標高450m、上醍醐で最も高い場所です。下醍醐からの山道を歩いてくるだけでゆうに1時間20分はかかります。山頂部や途中にある数々の堂宇をゆっくりと見ていると、往復で4時間ほどは見ておきたいほどです。
逆に言えば、醍醐寺だけでまるっと1日、新緑の季節のハイキングと歴史散策が楽しめるということです。
現地で必要なのは、拝観料と駐車場代だけ。食事を提供するお店などは上醍醐にはないので、背中のリュックに軽いランチと飲み水をいれておく必要はありますが。
五大堂。五大明王像が祀られていました。今は麓の霊宝館に引っ越しです。
重要文化財の開山堂。延喜11年 (911) に建てられた御影堂を今はこう呼んでいます。
豊臣秀頼により再建された現在の開山堂の建物。内陣の逗子には開祖・聖宝の坐像などが安置されていますが、内部は非公開。
上醍醐の最奥には白河皇后稜があります。宮内庁の管轄地なので、入ることは出来ません。
『信じる』力の偉大さ
広大な上醍醐の奥にたどり着き、再び下醍醐へと同じ山道を下る最中。
ずっと感じていたのは、この険しい山奥にでさえ信じるものがあればひたすらにそれを信じとおした当時の人間たちの生々しい気持ちそのもの。
開祖の聖宝は、山上の醍醐水での体験から神を『感得』しました。
難しく考えなくても、聖宝は「ああ、なんて聖なる場所なのだろう。ここには神がおわすに違いない」、そう感じたことが発端であるはずです。
その聖宝を信じた多くの信者たちによって醍醐寺はさかえました。
さらにその栄えた醍醐寺の栄華と得にあやかろうと、太閤秀吉は醍醐寺発祥の地である上醍醐への参道上での花見を決めたのです。
そう、秀吉もまた醍醐寺を信じた一人。
下剋上の風が吹き荒れた、「人を信じない」時代を経て、秀吉も最後には「人を信じたくなった」のではないでしょうか。
無垢なまでに人を信用する最もいい例は赤ちゃん。
満面の笑顔でヨチヨチとこちらへ歩いてこられたら、抱きしめずにはいられませんよね。
赤ちゃんと同じように、どこまでも純粋に信用されれば、それにあらがうことはとても難しいのです。
『天下の人たらし』の異名までとった秀吉の強さは、以外にもあっけらかんと多くの人を純粋に信用した事にあったのかもしれません。