空気を読むとは、「行間」を読むことだ。

『空気を読め』とよく言われる。

極めて日本的な言葉なのだが、実は英語にも『空気』にあたる単語はある。

read between lines

つまり、「行間を読め」だ。 文字と文字との間にあるものを読み取れ、とは面白い表情だが、逆に彼らにはいかに「文字」というものを生活の中で重要視しているのかがよく分かる。

つまり「言葉」にする事が大切で、それ以外のコミュニケーション手段に比べて圧倒的に信頼を置く事が多いと感じる。

彼らはとにかくしゃべるし、書く。

口に出さずとも解る事もあえて口にしてお互いに話す。事の大小に問わずだ。

食事の時間を長くかけ、料理を口にしながらとにかく話す。

話すだけではなく、書くこともだ。

打合せの議事録や訪問記録など、メモに類する小さな事もとにかくよく書く。

ただし、誰と話すのか、また書いたものを誰と共有するか、どのタイミングで使うかは非常に注意深く判断しているように見える。

「空気」を読んでいるのは彼らも同じだ。

欧米では「空気」を読んで話す、のだ。

「言葉」のもつ威力、効果を理解し、自分により優位な環境を作り出す事に敏感だといえるだろうか。

翻って日本ではどうか。

喋りすぎる事は、「出る杭」とみなされ受け入れられにくい事が多々ある。

口数が少ないことを「美徳」のする文化的側面もある。

戦って自分のポジションを獲得する狩猟民族の言語圏では、言葉を発しない事は自己の安全が危機に晒される事を意味する。

日本では逆に言葉を慎む事が自己保身上、有利である社会だ。

会議の席でいきなり立ち上がって持論を話し始めれば、大概の場合には遮られるか、沈黙の気まずい雰囲気に飲み込まれ、すごすごと席に座る事になる。

前述のように欧米では「空気」を読んで話すのだが、日本では逆に「空気」を読んでもなぜか口を閉ざす事が多いのだ。

なぜだろう。

日本の社会では物事を進めようとすると、「根回し」によって、少しずつ相手を納得させる手間のかかる手順を踏まなければならないからに他ならない。

「根回し」によって、物事が決定される会議での「空気」が既に決まっている、とも言える。

つまり、人と人との間のコミュニケーションの場で、話の方向を定めるのに「空気」を読む事を「根回し」という事前プロセスをわざわざ組み込んで行なっているのが日本人なのだ。

ここが欧米と決定的に違うと思う。

「顔色」を読むな。

日本の社会は皆が安心し、違和感を感じる事のない「場」を重んじるために、会議でいきなり迫真の議論が噴出して着地点が見えない事を避け、予定調和的結論にたどり着く単なる「確認」の場となってしまう。

コレが決して悪い事だとは言わない。

会議の前に「根回し」する事は決して否定される事ではなく、有利な点も多い。

大勢の前で意見をいえば反対する言葉に萎縮し、だんまりになる人も多いのだ。一対一、少人数間での意思確認、調整は「ホンネ」を引き出す事に関しては優れているとさえ思う。

私が問題と思うのは、その「根回し」の過程で、「空気」ではなく相手の「顔色を読む」事だ。

「空気」を読む事と「顔色」を読む事。

何が違うのだろうか。

そもそも「顔色を読む」とは、「顔色をうかがう」事に等しい。

英語では

read face あるいは read expression という。

つまり、「表情を読む」と言い換えられる。

表情とは、顔にでる「感情」だ。

感情は思考の結果ではなく、感覚だ。

その場、その時により変わる。もちろん思考の行き着くところも変わる場合がある。

「考え直す」のがそうであるが、思考は途切れるわけではなく、大きな起伏があっても連続している。

感情は思考と違い、不連続だ。突発的で、瞬間だけ湧き出る時も多い。

ちょっとした相手の言葉で気を悪くする、不快になる、逆に大した事もないのに浮かれてしまう、などなど…

顔を読む事は、相手の感情を見ることに他ならない。

この「感情」と「思考」の違いが、非日本的文化の英語圏表現によって理解出来るのは十分すぎるほど皮肉だ。

不安定で不明確な「感情」を見ることが、コミュニケーション上での判断に影響しないとは言えない。

欧米人のように根回しなしでの「いきなり議論」でも感情の衝突はもちろんあるだろう。だが、そこは「言葉」化する事でお互いの行き違いは避けられる。

意見の相違はあれど、「誤解」として受け止められる危険はわずかだ。

「顔色を読みすぎる」と、逆に相手の中に不安定は「感情」を湧き起こし、「誤解」につながってしまう。

根回し、事前に相手と意思確認するときこそ、「顔色を読む」事なく、「空気」を読んで言葉が最大限に威力を発揮するように意識を集中することが円滑なコミュニケーションのコツのようだ。

「顔色を読む」のが良い時もある

会社の中など、特に多人数での意見調整が必要な環境では、「顔色を読む」事はやりすぎるとミスディレクションの結果に自分が苦しむ事になる。

これが、家庭の中ではどうだろうか。

こわごわと奥さんの顔を「読んで」、おそるおそると話を切り出す。

「今月、飲みが続いてねぇ、財布の中、キツいなぁ…」

「今度、新しいノートブックが出てすごいんだよなぁ。欲しいなぁ」

ゴロニャーン。ゴロゴロニャーン。

おねだりする、甘えるときは思いっきり「顔を読んで」、言葉を濁したほうが…いい(!?)のかもしれない。

お試しあれ。