しだみ古墳群ミュージアム開館。「土偶」と「埴輪」の違い、分かる?

『あ、土偶だっ。かわいい顔してるよ』

「ん?土偶…? だったっけ?」

『あ、違う違う、これ、埴輪じゃないかな?』

「え、埴輪って、土偶と違うんだよね」

『違うんだ…よね。どこが違うんだろ?』

「… うーん。古墳から出てくるのが埴輪で、土偶は…なんだっけ?」

巷では「考古学ブーム」だ。

昨今は「考古学ブーム」。特に人気なのはユニークな造型が可愛いと女子に人気の土偶が数多く作られた縄文時代。

「土偶女子」なる言葉まで出て来て、携帯ストラップやグッズまである。

ほとんど、「ゆるキャラ」状態。

また、時代を先に進めた古墳時代にもスポットライトが。各地で色々な古墳が注目を浴び、再評価が進んでいます。

大阪・堺市の「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群がユネスコ世界文化遺産へ正式推薦され、気運を盛り上げようと売り出されたスイーツ「はにわぷりん」などは1ヶ月待ちの人気に(食べてみたい)。

そして、愛知県にも『体感!しだみ古墳群ミュージアム(SHIDAMU)』という名の施設がオープン。

こちらも負けずに、ゆるキャラまで作ってしまう力の入れようです。

まずは行ってみよう。

「古墳」のある所、「埴輪」あり

「名古屋に古墳なんてあったっけ?」

ピンとこない人も多いでしょうが、名古屋北東部、志段味(しだみ)と呼ばれるエリアにある古墳の数は66。

全国には16万近くも古墳があり、名古屋市内でさえ200の古墳が数えられます。

例えば、人でにぎわう大須のど真ん中にもあります。

那古山古墳と呼ばれるこの小さな前方後円墳は大須のど真ん中、富士浅間神社の近くにひっそりとあります。

また、名古屋市内にある大学キャンパス内にも古墳があります。

これに登ったここの学生は必ず単位を落とし、留年するという都市伝説が。

私めも、何を隠そうその「古墳の呪い」にかかったその1人、生き証人であります(笑)。

というか、歩いているとそのまま登れてしまう大きさで、柵すらない。那古野古墳なぞは写真のように階段がついていて「ぜひぜひ、登ってください!」という古墳、結構多いのでは?

さて、「しだみ古墳群ミュージアム」に向かいます。名古屋駅からはJR中央線で高蔵寺駅下車。徒歩で20分ほど。

春はしだれ桜を見に人でにぎわう東谷山(とうごくさん)の麓にあります。

入口。

思っていたよりもなかなか立派な建物だ。気合い入ってるなぁ。

中には、埴輪や土器、須恵器など志段味古墳群からの発掘品が多く展示されています。

古墳に埋葬されていた装飾品類。

この像は志段味大塚古墳の王。発掘された古墳に埋葬されていました。

部下を従え、刀を持ち馬にまたがる… 小さくとも間違いなく「クニ」の王です。

古墳時代の名古屋付近は、海が奥地にまできていました。戦国の時代に「濃尾を獲ったものが天下を取る」と言われた濃尾平野は蛇行する河川だらけだったようです。

土木技術がまだそれほど発達していなかったであろう古墳時代、人々は川が氾濫してもより安全な、河岸段丘の上に「クニ」をつくり住みました。

古墳時代の王の墓である古墳は領地のどこからでも崇める事が出来る、より高い場所に作られたといいます。

実際、王の埋葬されていた志段味大塚古墳は周りから一番目立つより高い河岸段丘の高みにあります。

ミュージアムから外に出ると、裏側には実際に大塚古墳はじめいくつかの古墳が。

中には那古野古墳のように階段があり上まで歩いて行ける古墳も。

おや、古墳の周りに並べられている樽のように見えるたくさんの物は何でしょう?

実はこれも埴輪です。「円筒埴輪」と呼び、古墳を「聖域」として区別する意味があったと考えられています。

古墳にはこのように人形、円筒とたくさんの埴輪がありました。

「土偶」と「埴輪」。決定的に違いのはココです。

さて、ミュージアム見学を終え、ふと思ったのが、

「埴輪」は「土偶」とは何が違うのか?

最近何度も美術的や博物館で有名な国宝となった「土偶」が展示され、ちょっとしたブームとなっていることは前に述べました。

「埴輪」の方は国宝指定件数がたった1件だけで、人気の点では土偶に押されているように見えますが、とんでもない。

出土数は圧倒的に埴輪の方が多い上、破損などがなく、保存状態がよいものがとても多いのです。

加えて全国的にも古墳の数は相当多く、全国各地で古墳にスポットを当てて地域おこしをしようとの気運があります。

それに伴い「埴輪」もゆるキャラなどに採用され、怖い顔した土偶よりも子供達には受けがよいと聞きました。

実際に調べてみました。

その違いは … 見て比べてみるのが一番です。

こちらが、『土偶(遮光器土偶)』。

(東京国立博物館 考古展示室にて撮影 青森県 つがる市木造亀ヶ岡から出土)

教科書に載るほど「超」の付く有名人の彼女(たぶん、体つきからみて女性)。

この遮光器土偶のように、土偶には顔や足などが壊れて欠けたりしているものが多い。これは発掘された時に割れたのではなく、製作されてすぐ、意図的に壊されたと考えられています。

女性の顔をした土偶も多く、安産などを願ったり、災いが起こらないために祈祷目的で、自分たちの代わりに「いけにえ」的にささげられたようです。

で、こちらが埴輪。

こちらも同じ東京国立博物館 考古展示室にて。

これが唯一国宝指定されている埴輪 で通称「挂甲(けいこう)武人」。

挂甲(けいこう)とは古代日本で使用されていた鎧の一形式のこと。

ですから、この埴輪人形は当時、戦さに出る武人を模したのだとわかります。志段味大塚古墳の王と同じです。

それにしては優しい顔をしていますね。

土偶と比べて大きく違います。

もう一つ、埴輪。こちらは…

おお、「しだみゅー」のゆるキャラにソックリだ。いや、こちらが先か。

同じ土人形なのに、実は大きく印象が異なる「土偶」と「埴輪」。

それは作られた時代でその目的が違ったからです。

まとめると、

土偶

製作年代 : 縄文時代

目的 : 祈祷などのため最初から「壊される」ために作られた

埴輪

製作年代 : 古墳時代

目的 : 死者の霊を慰めるために古墳に一緒に埋葬されたり周りに置かれた

同じように粘土を焼いた人や動物などの形をした人形ですが、作られた目的が全く違う。

作られてすぐ壊されてしまう土偶と、長く死者に寄り添うため同葬される埴輪。

土偶の時代はまだヒトが定住活動をせず、自然の中で生きていた縄文の時代。自然のもたらす災いや、神秘的な出産に抱いたであろう畏れが、顔の表情に反映されたのでしょう。

埴輪の表情は死者を慰めるためか、癒し系が多いようです。

これで「土偶」と「埴輪」は一目で分かるようになりました。

似て非なる「土偶」と「埴輪」、の話でした。