槍・穂高連峰の屏風のような大パノラマが拡がる北アルプス常念岳の山頂。

素晴らしいですね! 苦労してたどり着いた山の頂… 疲れも吹き飛びます。

登山者のほとんどが、この瞬間を楽しみに長い急坂を登ってくるのです。

残雪期にケニーが登った時も、もちろんこの風景に感激したのは間違いないのですが、その時ふと見かけたのが、写真の山頂にあった小さな祠です。

日本の山に登ると、どこの山頂にもあると言っていい、祠。山麓に山の神を祀った神社があり、その奥宮が山の頂にある場合が多く、小さくても山頂の祠は神社とみなしても良いでしょう。

日本人は麓から仰ぎ見る高峰に畏怖の念を抱き、神のおわす場所として崇めて来ました。

山頂を目指した初めての人は多くの場合、信仰心にかられたからでした。

槍ヶ岳や笠ヶ岳に登頂した播隆上人や、伝説に彩られた役小角(えんのおずね)らは、よく知られています。

★花を求めてよく訪れる滋賀県の伊吹山山頂にあるのは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像。神話では神の怒りに触れたため致命傷を負った。

★四国第2位の高峰・剣山の山頂部。三角点のある最高点は神聖な場所として柵が囲ってあり立ち入り出来ませんでした。

日本では、山と人の距離が「ほどほどに」近くもなく、遠くもなかったのでしょう。

険しい山容に畏怖の念を抱きつつも、多くの恵みをもたらしてくれる存在。だから、人々は徐々に山との距離を縮めていったのでしょう。

そこには「礼」というものが人と山の間に存在しているかのように感じます。

ところが海外では、山々は神が住む場所には違いないのだけれども、近寄りがたく一線を引いている場合が多く、山頂も味気なく殺伐としている山が多く、また国家権力を誇示する標柱が建っている悲しい山頂もありました。

★ハワイ島の4,000メートルを超える火山マウナロアの山頂。5時間かけて溶岩の上を歩いて登ったのに、祠どころか山名標識すらなくて、がっくり。ただ岩を積んだケルンが最高点である場所を示すだけだった。

★韓国の北漢山山頂では太極旗がはためいていた。

山との距離感と付き合い方は、人間社会での人との関わり合いを思い起こさせます。

会社、家庭、友人、知人、地域の付き合いの中などで関わり合う人達。

自分とその人との距離を計り、眺め、恐る恐る近寄っていく。

「勝った、負けた」と白黒つける関係であれば海外での山への考え方と似ている。「征服」するものとさえみなし、対峙から始まる。

相手をやっつけなければ、得られない安心、安全。

それとは別に、初めから謙虚に礼儀正しく、自分と違う人へアプローチする、山々への接し方の日本的な感覚。

一歩ずつ相手を確認して、時には一歩さがっても、敬意を払いながらそっと優しく近づいて行く。懐にはいるのに時間がかかる時もある。

そしてようやく相手に触れた時、山の神への祠を建てるのと同じように、理解し合って共存する。日本的メンタリティがこれからの時代に世の中で拡がればいい。

インターネットで誰にでもすぐにコンタクト出来る利便性はあっても、中は礼儀を欠いた会話、一方的雑言の多い事…。

たまに山へ登って頂で山の神様と対話してみるとわかる事もある… 労多くても相手と会うまでのプロセスと直接触れ合う事の大切さが再認識出来ると思います。