『先生、どうですか…? 心配なので、何か薬を出していただけないでしょうか』

「うーん、そこまでしなくても…」

『私、心配性なんです。何かあるかと思うと怖くって。お願いですから』

「じゃ、アプリを処方しておきます。これを使ってこまめに状態をチェックしてもらえますか。なら、安心ですよ」

『あ、アプリ…?』

アプリも薬も病に効果あり?

 ドイツでは、医療アプリを医師が処方出来、保険適用となる法案が審理されています。

日本でも医療機関で初めての医療アプリ「Join」が2016年に初めて保険適用となりました。

今や、アプリを用いてオンラインでの予約、診察、初回を除き2度目からは処方された薬が自宅まで届くまでに進歩しています。

オンラインでの診察もすでに国内で始まっています。

有名なのは、オンライン診療サービスCURON

オンラインで診察が終わった後に自宅に処方箋が届き、あとはもよりの薬局へ薬をそれを持参する事になります。

医師が患者に処方する薬は市販薬と違い、「医療用医薬品」ですが、これさえも、薬機法(旧 薬事法)の改正で2020年春よりオンライン診察・処方された上に郵送で届くようになりそうです。

 ただ、これらのアプリは「治療」するドクターをあくまでもサポートし、患者の利便性にも貢献するアプリ向ではありましたが、診察そのものを行うわけではありませんでした。

僕の『痛み』をわかってくれているんだよね?

治療のためのアプリが初めて保険適用されるそうです。

今や片時も手放せない存在となったスマホ。

スマホに入れたアプリが適時、患者をモニターし、アドバイスを送るのが「治療」アプリとなります。まずはニコチン依存症の治療アプリからだそうですが、今後幅広い病気の治療に適用出来るかどうか検証がなされ、医療アプリ中でも最も市場が大きくなると予測されています。

確かに今やウェアラブル端末ではありとあらゆる身体のデータが測定出来るし、また管理可能です。

従来、あくまでもこれを管理してきたのは個人で、データの分析も個人。

それをAIの力を借りて、適切な分析を行うばかりではなく、具体的に患者に処方しようということなのです。

確かにデータ分析に関しては、病気に対して特別な知見がない個人では限界があり、AIの方が適切だと思われます。

ここで気になったのは、その分析を元に、実際の医療アプリはどこまで患者と適切な対話をしてくれるのだろう、という事。

日常生活を例にとってみても、アプリとの対話の難しさがあります。

例えば、突然の来客。彼女がまだあった事もない父親を連れてやってくるとの連絡。『どこか、気の利いたレストランを予約しておいて。あ、父は結構グルメだからね』

おいおい、冗談じゃない。

でもこんな時でさえ、今では簡単にスマホを手に取れば検索作業が出来る。

それでもスマホのほうから『近くに〇〇という焼肉がありますね。でも、相手がイタリアンをお好みならば少々遠くても隣町まで行って△△を予約しておいたほうが喜ばれるかと思います』なんてコンシェルジュのようによどみなく答えてくれるかというとそんなに便利ではありません。

スマホとの対話も結構もどかしい時もあります(Siri とトンチンカンな対話するのはよくありますし)。

医療アプリも、コンシェルジュのように応答してくれるのだろうか?

まさかタウンページや今どきの家電の取扱説明書のように、『その症状の場合は次をクリック、さらにこのような症状の時は次のページへ飛んでください』なんてボタンを押して辞書のページをくって探しだすしかない、ということはないかと心配です。

それは極端にしても、あらかじめ準備された診断結果を、データの中から検索し、応答する事には変わりがないはず。

ある程度は正しい答えだろうと思いますが、問診の範囲を超えることはないので、「触診」などで痛む場所と患者の反応を見ながら判断する事までは出来ないでしょう。

問題は『感覚』。

よしんば百歩ゆずってインストールされたアプリと適切な問診を行えたとします。もちろん、大切なのは自分の感覚だという事は誰でも解ってはいるはず。

年齢による身体機能の衰えの速度や状態も、一人ひとりで違いますし、人によって感じ方や感覚の違いはいかんともしがたい。

「痛み」は感情ではないので、コントロールは出来ませんし、また感情をどう表すのかも、人によって大きく違います。

『アイテテテテテ… !!』

「ひィ~」

『あっ、痛いなア、もう…』

痛みの表現を人間が意図的にコントロール出来るとはとても思えませんので、これらをデータ化して、診断の基準に使うのはなかなかに難しいと思います。

うれしい、悲しい、苦しいなどの『感情』は訓練によってある程度抑えることが出来たり、反対に大げさに表現出来ます。

ですが、痛い時はそんなこといってられない! 痛いものは痛いっ!

そんな僕の痛み、ホントにわかってくれてるのかい、アプリちゃん!?

チェスやオセロのAIとは違う医療AI

近年、チェスやオセロ、囲碁や将棋のような頭脳ゲームにおいては人間の世界王者をAIが負かしてしまう事も頻繁にニュースになるほどAIは進歩しました。

ここで思うのは、医療の現場においてもAIは人間に勝る働きが出来るのだろうか、ということです。

思考や判断が優れるAIは、ゲームの世界では人間を超える事が出来ました。

ところが、医療の現場での「治療」行為には、痛みの表現をどう受け止めて分析するか、きわめて人間的な「感情のやりとり」を期待される事があります。

 アプリは薬のように身体に直接作用する事はもちろんありませんので、標示される文字やスピーカーを通した「言葉」によって、使用者の考え方や行動に直接影響を与えて作用することになります。

 ある意味、カウンセリングに近い行為です。

自分も以前、リウマチの痛みに苦しんだ事がありました。

膠原病であるリウマチは完治することはなく、症状が安定する「寛解」状態を維持するのが治療となります。

長きにわたり通院しましたが、問診や触診をするだけで、あとは血液検査の数値が安定しているかを見ているだけです。

それでも、「通院し、生身のドクターの顔を見て話して安心する」事で、日々続いた痛みが和らぐように思えました。

『ああ、これは一種のカウンセリングなんだな』と思いました。

実際にカウンセリングの分野にはAIが参入しているという話は聞いた事がありません(私の認識不足かもしれませんけど)。

無機質なスマホやウェアラブル端末の液晶画面に映る数字や文字に向かって対話しても、「どうせ、この痛みなんて、お前に分かりっこないよなあ」とホンネで向き合えない自分の姿が目に浮かんでしまいます。

自分と同じ生身の人間が目の前にいてこそ、自分の言葉で痛みや感覚が表現出来る人は多いと思います。

だって、人間だもの。

同じ人間だから、キミもわかってくれるんだよね、とこちらも期待し、甘えてしまう。

「痛いんだよ。オレの痛み、わかってくれるよね。ホント、大変なんだよ」

人が人に期待する、「甘え」を受け入れてくれるアプリの登場まで、まだ時間がかかりそうです。