「副業」と「複業」。令和の時代を前にいただいた言葉 -『人生の扉は観音開きの手動ドア』を添えて。

新元号が「令和」と決まり世間がそわそわとしています。

(「改元フィーバー」とでも呼びましょうか)

自分事ながらもちょっとした変化があったので、記しておきたいと思います。

自分は個人事業主でもなく、会社へ勤務して収入を得ている立場です。

もっとシンプルに言うと、「サラリーマン」。

社内の立場もかなり自由で権限も持ち、思い通りに仕事をしてきました。

成果も挙げ、ある程度この業界では知られ、何かあって今の会社をやめるなどの状況になっても翌日から心配で眠れなくなる、という事はまずない自負はあります。

一部署のトップとして部下を率い、リーマンショック後の厳しい状況で部署として成果をあげ、インセンティブももらい、苦しい状況でいくばくか会社へ貢献出来たと感じます。

何より仕事も面白く、もちろん責任もそれに合わせて伴う立場ではありますが、それが心地よく感じるほどでした。

「絶好調」という状態が4-5年続いたでしょうか。

昨年、私は突然意識を失い倒れ、救急車で運ばれて生死の境をさまよい、幸運にも一命をとりとめました。
心筋梗塞だったのです。

後日、手術を行い退院の後、自宅でテレワーク勤務を行う事を会社から承諾してもらって療養しながら仕事には復帰しました。

おかげで体調は順調に回復し、以前のように「通勤」しての勤務形態に戻る日が近づいてきています。

ところが、やはり一度病に倒れた後に同じような業務を続けさせることには会社がやはり前向きにはなれないようです。

この日、一旦、トップの責任を部下に譲り、後方で皆を見守りサポートする立場になるように会社と合意しました。

おかげで肩書は「アドバイザー」にかわります。

今までの会社への貢献からか、所得的待遇はいくばくか減りはしますが納得出来る額です。その分、あれもこれも受けざるを得なかったプレッシャーと責任からは大きく解放される事になります。

従来からの部下をサポートする立場は変わらず、やりたかった新規業務の開拓的仕事を進められる立場。
後進の指導も、直接的な上役としてではなく、「横によりそっているよき経験者、理解者」という立場でのポジション。

これも悪くない。

体を患ってから半年ちょっと、療養しながらも新しい環境で多くの人たちと新たに出会う機会がありました。

このブログを書き始め、自分からの発信を始めた事で、交わる人が増え、今までは知らなかった多種多様な職業・立場の方に会う経験が今は続いています。

これは大きな刺激にもなっています。

組織から離れ、自ら独立した方々には「いつか来た道」であたりまえの世界のようですが、自分には遅まきながらもこのように「外の世界」に出て刺激を受けるのは半世紀生きてきて正直初めて。

命をなくしかけた経験と、その後に広く様々な人たちの生き様を知る機会をもった事で、自分の中で何かあたらしいものが芽生え、だんだんと大きくなってきています。

それは、「複業」という考えです。

副業ではありません。

私の勤める会社では「副業」は社内就業規則で原則禁止はされているのですが。では、「複業」は?

副業=本業があってある言葉。
「本業」:主たる収入源となる職業、勤め先、(個人)事業

複業=複数の”仕事”をこなしている。主たる収入源は変わりうる。
仕事そのものの継続性の有無はそれほど重要ではない。
スラッシャーと呼ぶ場合もある。

自分のプロフィールを書くにあたり、自分について何を語れるのか?
見つめなおしてみて、もっと様々な事をやってみたいと考えるようになりました。

新しい本業での立場は、自分の時間が格段に増える。自由裁量の時間を増やせるからです。

これはかなり嬉しい。

この時間と環境を手に入れ、

今までは

「自分が楽しめれば、それでいいや」

と思っていたことが、身体を患ってから多くの新しい人たちと交わって刺激を受けるにつれて

「一緒に楽しめる、お互いに刺激し合える」
関係が欲しいと渇望するように変わりつつあります。

「複業」の ”業” (なりわい)は、必ずしも最初からお金=収入を目的としなくてもよいかと思います。

収入の有無ではなく、自分のもっているものを他人におすそわけし、その結果お金をいただける結果になる事もある。

またお金をいただくかどうかすら、自由に自分で決めることもあたりまえなんだ、という事も新しい気づきです。

ボランティアであっても、ビジネスであっても、それは自分が決めればいい。

今まで 『趣味』であったものが、『複業』となる事の意味…

「自分がたのしめればいいや」というマインドに「もっと発信したい」「人の役に立ちたい」という気持ちを重ねる事であっという間に同じモノが別のように見えた事に自分でも驚いています。

コロンブスの卵、目からウロコです。

(ああ、単純に『自分』の心に素直になればいいだけなんだな…)

こう思うようになったのは、心臓発作で倒れたからかもしれません(今はそれをありがたくさえ思う)。

そして、勤め人(いわゆるサラリーマン)であっても『複業』はもちろん可能だと信じられる。

「本業」をもっていても、「趣味」は持てる。

であれば、「本業」をもちながら「複業」の状態を楽しめるという事です。

「本業」が実は「複業」の ”ONE OF THEM” であるとさえ、今の僕には見えます。

後付けの屁理屈、とは全く思わないのは、周りの環境はさほど変わっていないからでしょう。

自分の「ありよう」を自分で見る位置を少し変えただけ。

昨今の周りでおきた出来事は、この気づきをくれた「偶然」でなく「必然」であったと思います。

最後に偶然か… 学生から社会人になったのが『平成』の幕開けでした。

今、そして新しい時代『令和』の幕開けにあたり、生まれ変わったような気持ちでつくづく

『人生の扉は観音開きの手動ドア』

なのだなあ、と思う日でした。

(私の言葉ではなく、先の四万十への旅でいただいて心に響き、心にメモした師匠のひとことです。そのドアに気がつかせていただけた師匠にただ、感謝、感謝です)

「令和」の始まる直前に開けた扉。次は先に進まなきゃ…ね。

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