大人の絵本 だった国宝、一遍聖絵

京都国立博物館で開催が始まった「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」をさっそく見てきました。

散り始めた京都の桜が名残惜しく、週末の土曜日に出かけ、銀閣寺から「哲学の道」を歩いて永観堂へ。

土曜日は博物館の閉館時間が夜8時なので、それから移動しても十分に展覧会を楽しめる時間があった。

さて、「一遍」とは鎌倉時代の新仏教・時宗の開祖として日本史の教科書にも出てくる有名人ではありますが、いまいち知られていないのでは。

「それ、誰?」

確かに弘法大師「空海」級の知名度は無いかも知れません。

空海が政府公認お抱えのスーパースターなら、こちら一遍は一庶民。

名だたる新仏教の開祖たちの中で唯一、比叡山では修行していない。

踊りながらひたすら「南無阿弥陀」を唱えながら浄土での幸福を祈る。

正直、訳ワカラン。

絵本だから、わかりやすい

展示会では、諸国を踊りながら歩いた一遍と彼に付き従った弟子たちの旅の様子が12巻にもわたって描かれている国宝「一遍聖絵」が全巻展示されています。

特徴的なのは、彼らの旅を描いた絵巻なのに、絵の大半のスペースは訪れた土地の風景や街並の描写に割かれ、肝心の一遍らは小さく小さく描かれていることです。

まるで、彼らが旅したこの国の美しさ、神秘さが強調されていて、描かれた一遍たちは淡々と歩いているか、念仏踊りしているかのどちらかです。

極端に言えば、「どうでもいい」扱い。

ただ、どんな場面なのかを語った文章は要所要所に書かれてあり、とてもわかりやすい。

「ああ、これは絵本なんだ。しかも、大人に向けて書いた絵本なのだなぁ」

そうか、新しい仏教は新しい考えから生まれたものだ。

だから、「わかりやすい」のが一番なのだ。

ムズカシい漢字がたくさん並んだ経典がいくらあっても、庶民には文字すら読めない時代。

仲間の僧侶たちだけに伝え残すために写された経典とは違い、「絵巻物」は誰にでも見るだけで作者のメッセージは簡単に伝わる。

この「一遍聖絵」は一遍ら一行が広く諸国を旅したのだ、だから彼らを知る人々が全国津々浦々にいるのだ、ということがわかればそれでよかったのだろう。

大人が開いた絵本の中に、見知らぬ土地の描写に惹かれ、憧れを抱き実際に旅に出る人もいたはず。

「大丈夫、私が一度ここを訪れているのですから。念仏を唱えなさい。ここの人たちも私を知っている。同じ念仏を唱えるあなたを受け入れてくれますよ」

そんな一遍の言葉が聞こえてきそうです。

鎌倉時代のユーチューバーだった一遍

その、肝心の一遍の思想なのですが、展示会を見てなかなかに面白いと感じました。

初めは「なんで踊りながら念仏なんだよ」と思っていました(いや、子供の頃、歴史教科書読んだ時から意味不明だったよ)。

思いっきり他力本願なのは鎌倉新仏教なのでまぁ良しとしても、ひたすら過激に踊り狂う。

しかも、見世物小屋を建て、大勢で時には恍惚状態で衣服を脱ぎ捨てて踊ったそうです。

現代で言えば「ユーチューバー」のようなものだろうか。

自己発信し、その内容の過激さが世にウケるというのは、まさにそう思えるのですが、一方では一遍がわざとそれを狙っていたわけではないフシもある。

一国一城の主として特定の寺社を持つでもなく、ただ諸国を彷徨い歩く。

共感が共感を呼び起こし、人々の間を伝播していった結果、一遍が後ろを振りかければいつのまにか大勢の信者たちが彼の後をついてきていた、というのが事実。

彼の過激さに気色ばむひとたちもいたのだけれど、彼は目立ちたかっただけではなく、人々を救うため単に祈りたかっただけ。

「ああ、一緒懸命に祈っていたのが、踊るということか…」

ようやくわかった。

そうか、一遍が踊っているのは一種の「ランナーズ・ハイ」状態だったのでは。

一心不乱に祈る。

気持ちが入ると自然に話す声も大きくなり、ゼスチャーも大きくなりますが、これが行き着くところまで極大化すれば、身体が自然と動き出す。

沖縄の楽器、三線をたしなむ僕には分かります。

沖縄では、楽しそうな三線の音が聞こえてくるや、立ち上がって自然と踊り出す人たちが普通にいる。

眉間にシワを寄せて仏に向かって世の人々の救済を祈る…そんなイメージは吹き飛びました。

きっと、踊りながら念仏を唱える一遍の顔は額に大汗かきながらも、楽しくて楽しくて、ニヤニヤと笑っているのに違いない。

「鎌倉時代のユーチューバーを描いた絵本」を見た後は、博物館ではなく、まるで映画館を後にするようでした。

▶️公式サイト 「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」