なんて、シンプルな本なのだろう!
思わずそう唸ってしまいました。めくるページに踊る言葉のひとつひとつが、ものすごくナチュラル。本の感想に「ナチュラル」という言葉が出て来るのは、そうそう無い。と言うか、初めてそう感じました。
気負ったところもなく、自分が感じ、想い、そしてまさにそれらを素直に信じて行動したはあちゅうさんだからなのだろう。書かれた本を読んでいるというより、彼女がまるで目の前に立っていて話しかけているようにさえ思われる…
本を音読して聞いても何の不思議さも感じない、語りのCD を聞いてもすっと身体に入ってくるような本でした。
「考える」と「感じる」
本は問いかけます。誰もが何かを行動に移す時、どうにも考えてしまう。そこで物事が立ち行かなくなる事を。
何かをやろう、と心の片隅に気持ちが芽生えた時、いつも「思考」が「感覚」を邪魔してしまう。考える事は大切、そこは否定しないのだけれども、感じる事はどうなのだろう?
感じるままに行動すると、決まって誰かが足を引っ張る。
自分に置き換えて思いを張り巡らしてみます。1日を過ごす職場での日常、何かに結論を出して動く時。
必ず言われるのが、
「考えず、そんないい加減な理由で行動していいんですか! 責任者なんじゃないですか?」「こんなに大事な事をフィーリングで決めてもらって困るなぁ」
「えっ、そんな単純に考えていたんですか。冗談じゃありませんよ!」
などなど…
(あーっ、もういい、もうやめて、分かった分かった。考えるから、次回は…)
てな事が職場ではよくあります。
でもこの本を読み終えてからまず思った事は、
『感覚を信じてもいいんだ。人がなんと言おうが。自分が感じた事は大切な情報なのだ』
『自分』を仕事にしていない集まり?
いつも自分の声が聞こえていても、最後に他人の声に負けてしまう時が多々あります。『自分』に共感してくれる仕事のチームメイト達がいるにはいる。なのに皆がリーダーの僕が感覚で決めた事には不安を感じ、むしろ考えた末の違う結論に同調しがちなのに気がつきました。
これはいったい何? 何故?
はあちゅうさんは、本の中で繰り返し『不安は言い訳』と述べています。であれば、チームの仲間の不安は僕自身の心の不安の表れなのか? それとも彼らが持つ僕には理解しずらい他人の別の何か不安なのか? 一瞬悩んでしまいました。
僕は会社員です。職場の仲間は全て僕の部下になります。皆、それなりに仕事も楽しんでこなしている。大変な時もあるけれども大きな不平不満は言わない。十分によい部署だ、と会社内でも言われる。僕は僕で、やってきた事には自負もあり仕事も好きだ。この部署の立ち上げから関わって、大きな成果も上げたと思う。個人的には十分満足もしている。5年先に同じ会社、同じ業界で仕事をしていても、自分でその中で好きな物事を仕事に出来ると思っている。でも… でも… 皆が僕のように同じくワクワクしているのかと言ったら違うようだ。ワクワクする人の所に人が集まりそれが自然と広がって行く世界とはやはり違う。皆、仕事への思い入れは微妙に違う。距離も。立場も。
そう、そうなのか、やっと分かったぞ…
それらをつなぎとめるのに、最も安心なのは「まとめる立場の人間が思考をして出す結論」に従う、という事なのか! 彼らの期待しているのは、それなんだっ。だから感覚での結論をあれほど嫌がるんだろう。会社が先に出来ていて、そこに参加したのがチームの仲間。けれども彼らは他の部署から来た。今の会社の枠外からやって来た訳ではないのでした。
皆が集った理由がワクワク感を期待して自らが参加した訳ではない、という事はみんなはつまり、「自分」を仕事にしてはいない、のだ。
素の『自分』が受け入れられる時代
『素の自分』が楽しめる事、お金を払ってもやりたい事。それをやり続け、どこかでそれがお金を生むようになる。この良い循環を生み出すのが、シンプルに『ワクワクする気持ち』だと、はあちゅうさんは言う。そんな人同士の間に自然に化学反応が起きて新しい人の繋がりが生まれていく。
会社の中でそれを貫く事は正直、大変だ。はあちゅうさんのように全てリセットする生き方もあるのだけれども、自分はどうするの? え、ケニーさんよ。どこまでいっても自分がどうか、という事しかないでしょ!
もう一度、自分に問いかけてみます。そう、感覚です。考える前に「感じた」のは何だったのか。頭の中の脳細胞がアイドリングし出す前に、身体が、感覚神経が何に反応したのか…
なんだ、もう自分が好きでやっている事そのものじゃないの! それをちょっとした心の壁を取り払って裸の自分を世の中の人にさらけ出していいんだ。今の世は、それを受け入れてくれる人が絶対にいる。そして、そんな人とつながる事が出来る社会の仕組みがある。
はあちゅうさんはここでまた素晴らしい気付きをくれた。
『今の世は過程にお金を払う人がいる』
副業、という単純な見方はもう、そこに「思考」が入って来ている。そうじゃなくて、こんな事にも感謝されるんだ、そしてお金を払ってくれてまでも教えて欲しい人もいるんだ…
だったらそんなヒトとつながってお互いワクワクを共有した方が、楽しいじゃない!
会社員、であったって、好きな事をもっと突き詰めて行く事はできるじゃないの。
…だから欲張って、損はない。
会社は、これからは僕の好きな事を仕事にする『場』のうちの一つにしよう。そこでの仕事もまだ大好きだから。
でも、僕の「自分」はそれだけじゃない。色々、なのだ。好きな事は一つ二つじゃ、ないでしょう。そして好きな事、ぜーんぶ、自分の感覚を信じ切って今の世にもっとアクセルを踏み込んで行けば、それらのたくさんの『場』から積み取れる面白さはきっと倍々ゲームみたいになって行くのじゃ、ないのかな?そこに不安がある訳ないでしょう。だって全部、自分の『好き』なんですからね。これからは色々な『場』をもっと豊かにする思考で行こう!
本当の自分とは『好き』という細胞から出来ているんだ、という事でしょうか。
本を閉じてからある事にはっと気がついて数年前に出した年賀状を出してみました。
表題の写真がそれ。なんだ、もう全部好きな事、そこに書いているよ。素の自分だ。仕事も、趣味も。ぜーんぶ、「好き」な事だよ、これ。あれこれ考えず、自分の感じるまんまにもっと楽しめばいい。
僕の一つ一つの細胞が、不安ではなく『ワクワクさ』を感じ始めるきっかけをくれた、はあちゅうさんに感謝!