朝も早くからやっている事とは。
「おーい、まだかよっ!」
( … )
「おーい、聞こえてる? 」
( … )
「遅刻しちゃうよお、早くしてよぉ。いつまで入っているんだよ」
『え…、何?』
「何してんの? いつからこもってるのよトイレに。俺、会社行くのにもうギリだよ」
『よ、呼んでた? トイレのドア、ぶ厚いからよく聞こえなくて…』
「マックスボリュームで叫んでるんですけど。聞こえてないわけないでしょ! もう我慢出来ん… 開けるぞ! (怒)」
『あ…』
朝起きて、寝床に横になったまま、まず今日のお天気をチェック。ついでにチラとニュースのヘッドラインを見て…。
ああ、起きるか。トイレに行こうっと。
よっこいしょ。ふう〜。
さてと、誰か投稿してるのかな、今朝もいっぱい「お知らせ」がきてる。
えーと、これは「いいね!」しておいて、これは…あっ、お誘いが来てるー。来週ね、行く行く! … で、次は… へー、今アメリカに行ってるんだ、彼。
…
トイレに座ってケータイ画面をスクロール、またスクロール、ポチッ 「イイね!」、またスクロール、アンド スクロール…
スマホでネット利用する時間は1日平均3時間
1日の8分の1、起きている時間の実に2割はスマホ画面を見ているという報告結果があります( ニールセンデジタル株式会社の報告 クリックするとリンクにとびます)。
「それほど多いとは知らなかった」との声が聞こえてきそうです。
ですが、この記事で書こうとしているのは単に「ネット中毒」「スマホ中毒」の事ではありません。
また、ネットにつながっている時間だけを問題にする気もありません。
ソーシャルメディアを使って仕事をしている方々は世の中に多くいます。特に個人で事業をされている方には今や必須。
ブログで活動を知らせ、ツイートでイベントを告知する、フェイスブックやメッセンジャーで業務連絡。
これは会社に勤務している人にとって社内や取引先とメールでやり取りをして、スカイプで会議に参加しているのと全く同じ事で、世の中の人間の活動として今や特別なことではありません。
問題は、目的もなくスキマにある時間にスマホを触ってしまうという誘惑にあります。
そしてこれこそが本記事のテーマです。
例えばこんなこと、ありませんか?
●運転中、信号が赤になる度にスマホをチラ見。
●お昼ごはんに入ったお店で料理が出てくるまでにもメールを確認。
●トイレで便座に座っても、手にはスマホ。
あ、これは冒頭に書いた、我が家の今朝の出来事です。
とにもかくにも、『手持ち無沙汰な時間が少しでもあるとスマホをさわってしまう』人のいかに多いことか。
一度起動すると寝るまで入ったままのスイッチ
全てが手のひらの上で出来るようになり、使う人には便利になった反面、入ってくるインプット量は膨大なものになり、弊害も出てきました。
何処にでも持ち運べ、手のひらの上にのってしまい、時と場所を選ばず使えてしまうスマホ。
いつでもどこでも使えるため、いつでもどこでも頼りにしてしまう、というより「まずスマホ」のように無意識に手にとってしまっています。
用事が済めば画面を閉じればよいのに、つい「ついでにFacebookを…。あ、Instagramで新しいお知らせだ…どれどれ。あれ、LINEも未読がいっぱいだ」と、あっという間に時間を奪っていきます。
一度入ったスイッチを切るのは容易ではありません。
どのサイトにも、どんなSNSにも、1クリックでも多く、1記事でも多く、少しでも長くそこに訪れた人を留まらせようと多くの仕掛けがされているからです。
一瞬でも目に入ったら、つい覗いてしまうのは、手間がかからないからです。クリックひとつで、ほら、また新しい情報が飛び込んでくる。
そして徐々に自分でその情報を消化しきれなくなります。ついさっき見ていたの、アレなんだっけ? あ、オレ何調べてたんだっけ??
ネット時代になったからと言って、人間の脳の処理能力が増えることはありません。
欧米のレストランでは給仕がお客におススメ料理をこれでもかこれでもかと薦めてきますが、それと同じでキリがない。
一つの皿に盛れる量は限られています。
食べて消化出来る量も限界があります。
量が多ければイイというものではありませんし、食べるほどに料理の「味わい」はどんどんと無くなっていきます。
そして、食事はお皿の上の料理を平らげたら、終わりです。必ず「ご馳走さま」となります。
が、ネットは常時接続。エンドレスにレストランのおススメ料理が出され続くので、自分で「ご馳走さま」と言わないと店を出て次の予定に移れません。
「ラストオーダーになります」との言葉はいつまでたってもスマホから聞こえてはこないのです… 毎日、夜寝床に入って睡魔に襲われるまで。
その「イイね!」が引き起こす事件
現代は多忙とはいえ、私たちにはそれでも1日のうちに自分が自分でやることを決められる『余白時間』があります。
その『余白』を何をして埋めるのかは個人の自由。
まとまった時間ではなくても、隙間時間を足していけば結構な時間になるはずです。
しかし、スマホの便利さは容赦なくその『余白』を奪っていきます。特に「隙間時間」を奪うのは得意中の得意。そして、それは朝起きてから寝るまで続くことを今まで述べてきました。
では、スマホが私たちから奪うのは時間だけなのでしょうか。
ここから話の核心部となります。
時間よりも注意しなければいけないことは、
『ネットを通して受け取る情報のほとんどが、他人によって作られた感情や思考』だという事です。
良い、悪いではありません。
受け取った情報を自分でよくかみくだき、理解して、そして自ら確認してみるプロセスに時間を費やす間も無く、インターネットの常時接続状態は次の情報を絶え間なく注ぎ込んでくるのが問題なのです。
これだけ多くの情報を受信していると、それらに対して深く考えずに簡単に応答してしまう事が多々ないでしょうか。
さきほどの「食べるほどに味がわからなくなる」状態です。
自分の応答が、誰に、どんな作用をするのか、それがどこまで拡散するのかを、刹那的なほど短い時間で適切にいつも創造出来ている、とは言えますか?
短絡的に頭の中で、「イイね!」をしてしまう事は時に恐ろしい結果を招きます。
SNSの多くは双方向ではなく、多方向コミュニケーションですが、その「イイね!」は思わぬ方向で事態をこじらせてしまうことにも。
近ごろ話題になった「愛知トリエンナーレでの展示中止」事件では、美術展示そのものが中止となり議論を呼びました。
リツイートした人たちの多くが、「まさか、中止になるとは思わなかった」「ノリで拡散させてしまった」とテレビ取材に応じています。
ツイートが連鎖する事で、いわゆる「炎上」で今や簡単に糾弾や非難が大きな塊となって人にふりかかってしまい、極端な場合は人が命を絶つ事さえある今の世の中。
油断していると、「時間」だけでなく、自分の頭で考えるという「想像力」まで奪ってしまう怖さが「ネット常時接続社会」にはあります。
食べて太るのが食事。食べ過ぎて痩せるのがソーシャルメディア
じゃあ、SNSなんて、見なければ、読まなければ、いいじゃあないか。
でも、そうしないと気持ちが不安になってしまうのです。
「時間」と「想像力」を少しずつ消費させられ、他人からのインプットを浴び続ける事で、他人に作られた感情や思考を起きてから寝るまで、長時間に渡り浴び続けてしまう。
「パブロプの犬」のようにスマホを見ることで入ってくるネット情報に否応無しに反応してしまい、その瞬間から色々なものがその影響で無意識のうちに変わってしまうのです - 考え方も感じ方も。
発信者をはじめとする「他人」の考えや思いが、どんどんと入ってくると、今度はそれが遮断されると不安で仕方がない。
「共通の仲間が持つ情報から取り残されることへの恐れ」(Fear of Missing Out= FOMO)、そう、いわゆる『フォーモ』です。
気になってつい、つい見てしまう。だから、疲れてしまう。
疲れて、焦る事で解決策を探そうとする。
そこで解決策がないか、と頼るのも実はまた、ネットの中の世界。
例えれば、病院に行って医者からもらった薬が強すぎて、さらに体をこわすような事をしているのです。
これが毎日繰り返し起きている。
おなかいっぱい食べさせられ続け、「時間」と「想像力」をへらし、くたびれて痩せていく - これが「SNS疲れ」の正体ではないでしょうか。
『デジタルデトックス』にはどうしても旅が必要な理由
ソーシャルメディアで人とつながっている人が、前述のFOMOからくる漠然とした不安から逃れて、失くしている『時間』と『想像力』を取り戻すためには、どうすればよいのでしょうか?
「デジタルデトックス」という言葉を最近よく耳にします。
他人からのインプットを遮断して、自分オリジナルの世界を余白に書き上げていくには、『旅』は最適… というより必要です。
いや、単純にデジタル機器を家において旅に出ろ、なんて話ではありません。
かといって、旅にもっていっても良いけどもスマホもPCもスイッチをすべてオフにしろ、というわけでもありません。
私の勧める『旅』は、あえて「思索」する時間を作り出せる、移動の便利さを切り捨てた旅です。
日程が十分とれなければ、目的の場所の数を減らすのもいとわない、その意味では「せっかく旅行行くのにもったいないっ!」と言われてしまいそうですが。
とにかく目的地へ行って帰る、この移動の時間だけはデジタル機器のスイッチを強制的にオフにしてしまいましょう。
相手は手のひらにのるほど、ポケットにしのばせることができるほど小さいのに、自分の欲望を限りなく満たしてくれて、どんな世界にでもツナがる手ごわいヤツです。
いなくなると困るけど、手なずけるのが難しいヤツら… デジタル機器。強敵です。
スーツケースの中に入れて、預けてしまうのがベストです。
え、退屈ですって? でも、困らないでしょ? 電車でも飛行機でも、行く先へ何で移動するにせよ乗ってしまえば必ず到着する時代です。
そう、つまるところ、「退屈」なのが、貴重です。
退屈な移動時間があるからこそ、これからの旅先に想いをはせ、いつしかそれは「思索」になっていきます。
そして、その分旅の目的地ではその反動で思いっきり自分を発散してください。
目の前に1,000年も前の世界遺産建築物や、見たこともない大きな巨岩、素晴らしい山や峡谷が広がるその瞬間、「退屈」がなくなるときがあるはず。
(北米・西海岸のレーニア山)
その瞬間から旅が終わるまで、旅の思いをメモしたり、それを読んでもらいたい人に発信し、帰宅してからも時間をかけてブログに残す… 「他人」ではなく「自分」が主役になることで、デジタル機器はあなたの素晴らしい友人や恋人に変わるはずです。
そう、まずは他人からのインプットより自分からの発信に自分の時間をシフトさせればいい。
自分の気持ちを、本当にかみしめて、他人に伝えるレベルへと昇華させるのに、「旅」はとても多くの要素を与えてくれます。
そして、その効果は旅が充実していればいるほど、長く続きます。
「疲れたから自分を見つめなおすために旅に出る」なんて、もったいない! 自分をエネルギッシュに戻すために行くのですよ!
これが「デジタルデトックス」の第一歩だと思うのですが、いかがでしょう。
★デジタルデトックスにも有効、「思索」が大切な、この時代の「旅」について書きました
★一般社団法人日本デジタルデトックス協会 → 公式HP