『今、ノルウェーにいます。眼下に見えるフィヨルドがとても素晴らしいです!』
切り立った断崖からは青々とした水面と、山に深く刻まれたV字の谷が足元に広がり、山なみは遠くまで続いています。この広がりは日本ではとても経験出来ない雄大さ。
そう書いてこの写真を送っても信じてもらえそうな風景。
ここは日本、愛知県、奥三河。
本物のフィヨルドももちろん見てみたいものですが、簡単に出かけられるわけありません。
ここはノルウェーではなく、いや海外のどこでもなく、日本。
場所は愛知県の東部、奥三河と呼ばれる地域、長野・静岡・愛知の3県にまたがる『天竜奥三河国定公園』の愛知県に属するエリア。
『三河』と聞けば、同地を拠点に天下人に成りあがった徳川家康が乱世を駆け巡った土地で、大河ドラマで取り上げられるたびに注目される地域ではあるのですが、その背後の山並みに注目する人は東海地方に限られているでしょう。
全国区の山域というにはマイナーなエリアと思われるでしょうが、そのポテンシャルはあまり知られていなかっただけにかなり魅力的だと思います。もっと脚光を浴びても不思議ではないプリミティブな魅力満載のエリアが奥三河。
写真からはさぞ山奥深い場所かと思いきや、実は名古屋からも近く、東名高速道路からのアクセスも容易なのです。
登山口は『愛知県民の森』という県営レクリエーション施設。駐車場から宿泊施設なども含め便利な事この上ないことに加え、キャンプ場や周りの山々へと縦横に伸びている数多くのハイキングコースが整備されており、遠方から来ても安心のアプローチ。
絶景を見るために最終的に目指す場所の名前は『上臈岩(じょうろういわ)』。眼下の湖面はフィヨルドでもなく、川でもありません。実は『鳳来湖』という名の人造湖。
この素晴らしい場所を紹介するにあたり、あえて直接『上臈岩』へ登るのではなく、愛知県民の森から奥三河の名峰として知られる『宇連山(うれやま)』へ登り、周回するコースを歩きました。奥三河の魅力を存分に楽しむためのちょっとした工夫と考えがあったからです。
ホソバシャクナゲ咲く宇連山を越えてたどりつく絶景
新東名高速道路・新城インターから国道151号線を北へ、有名な長篠古戦場跡を途中に車で約20分、あるいは三遠南信道・鳳来峡インターから同国道を西へ約10分で登山口である愛知県民の森へ向かいます。
入口は宇連川にかかる赤い橋。この先、施設入口前にゲートがあり朝7時にならないと駐車場へ入ることが出来ません。早立ちの場合にはご注意を。
敷地内にある宿泊施設『モリトピア』にはレストランや売店もあり、ハイキングマップはここで購入可能。
キャンプ場裏手から展望にすぐれた南尾根を登り宇連山へ。そして北尾根を目的の上臈岩まで歩き、さらに東尾根を下ってここへ戻ってくるロングルートを歩きます。
南尾根へとりつくとすぐ眼下に開ける大津谷の展望。
明るい林床はウラジロなどのシダ類の瑞々しい若葉に覆われ明るい林床。新緑の季節に歩けばフィトンチッドたっぷり。
歩き出して15分ほどで労せず展望の待つ尾根に上がれるのが南尾根コースの魅力。
たどりついた南尾根の上。奥三河特有の石英安山岩の硬い岩が稜線の上だけむき出しになっています。とても硬く風化に強いのが特徴。目指す『上臈岩』もこの岩で出来ています。奥三河の山々にガレ(風化で砂礫になった場所)が少ない理由です。
おかげで展望が楽しめるのはよいのですが、底の薄いトレランシューズなどで1日歩くと岩の反発で足裏や膝はまちがいなくガタガタに。それほど硬い岩です。奥三河のハイキングにはクッション性にすぐれた靴が必須です。
おや、さっそくホソバシャクナゲ、と思いきや…
遅咲きのミツバツツジの花がまだ残って咲いていました。
そして、むせかえるような新緑の尾根の彼方に姿を現したひときわ大きな山。奥三河の盟主と呼ばれる『三ツ瀬明神山』(標高1,016.3m)です。
そしてここでようやくホソバシャクナゲの花の登場。
目指す宇連山をバックに絵になる構図で現れてくれます。
ホソバシャクナゲ(別名エンシュウシャクナゲ)は静岡県西部から愛知県三河地方のごく限られた山地にのみ生育する日本固有種。日本のシャクナゲ類の中で一番低い標高に生息するのですが、実はきわめて狭いエリアにしか生息していません。天竜川中流の秋葉山付近・佐久間浦川、そして愛知県の鳳来寺山からこの宇連山、北の津具村にかけての間にだけ点在する希少種。
奥三河には他の地域では見ることが出来ない希少種の花が他にもあります。キバナハナネコノメ、エンシュウネコノメ、エンシュウハグマ、ミカワバイケイソウなど…
花を楽しみながら尾根を歩いていくと、いよいよ正面に宇連山が大きくなってきました。標高は 929.7m と1,000mにも満たないのですがそれを感じさせないスケール感。
下の写真は、南尾根上から見た宇連山周辺の尾根ですが、すべての尾根にコースがあります。中景の中尾根、その奥には東尾根。もちろん最奥の三ツ瀬明神山にも。
中尾根と東尾根はいずれも北尾根につながり、宇連山頂までつながるためルートの取り方によっては5-6時間を超えるロングハイクも可能。
低山の山並みが続く眺望は関東の奥多摩にも似てはいますが、植林のひどさに目を覆うまでのことはなく、山すそまできちんと緑の衣を着たストレスのない眺めが素晴らしいです。もちろん二次林も多いのですが、スギの植林地のような味けない森ではありません。
そして山稜を彩るホソバシャクナゲの華やかさがひときわまぶしい。これが宇連山をめぐる山々の大きな魅力の一つ。
とってもピンキーな、咲きだしたばかりのホソバシャクナゲの花。
稜線上は迷う心配もないほどに整備も行き届いています。そして防火対策として尾根上は切り開かれていて、貯水槽まで。
南尾根は愛知県民の森へエスケープ下山出来るコースもたくさんあり初心者でも安心です。
宇連山から上臈岩への道
『国体尾根分岐』をすぎると山深さが増してきます。しばらくで、左(西側)に険しい谷を刻んだ山肌の山が姿を見せます。この山は『鳳来寺山』(標高695 m)。ブッポウソウ(コノハズク)と岩峰、名前の由来となった鳳来寺で知られる奥三河の名山。
続く617mピークへの登りは、秋にセンブリのかわいい花が足元に咲いているかもしれません。よく探してみてください、たくさん咲いていますよ。漫然と歩いていると草に隠れている上に白くて目立たない花なので、なかなか気が付きません。
センブリだけではく、コウヤボウキの花も。
名前の通り、ホウキのようです。
秋の花は派手さもなくひっそりと咲きますが、静かに歩きながら花を探すのもまた味わいのある山の楽しみ方。
さて、北尾根との分岐・744mピークまでは、シダの生えた防火帯の急坂を喘ぎながら登るこの日一番のがんばりどころです。
ここをがんばり、北尾根の分岐からは宇連山の山頂へはさらに一汗をかく登り。ようやく『宇連山山頂(標高929.7m) 』に到着しました。
展望があまりきかないのが残念ですが、それでも『茶臼山』(1,416m)と『萩太郎山』(1,359m)が樹の間から遠望出来ます。愛知県の山々の標高ナンバーワン&ツー。
静かな山頂を楽しみましょう。
実はこの宇連山、知る人ぞ知る別名があり、その名も『ガンゾモチフテ山』。
調べてみると確かに山麓には『設楽町川合字ガンゾモチフテ』という地名がありますが、その意味は全く不明… 面白い由来がありそうなユニークな名前ですがはっきりわからず…。いずれぜひ調べてみたいと思います。
山頂からは北尾根をいよいよ上臈岩へ。山頂からはかなりの急坂。下りは勇み足になりがちですが、硬い石英安山岩の道であることを忘れずに…
途中の展望もほとんど無く、1時間程で『大幸田峠』へ到着。振り返ると降りてきた宇連山の急さがよくわかります。
ここから尾根は緩やかになり、しばらくで『北尾根展望台』。ここから見えているのは南の高土山方面。
展望台からは登り下りの少ない快適な尾根道をさらに30分ほど歩きます。
このあたりは快適でペースも上がります。コース上には場所を示す標識が所々にあり、迷ったときに連絡すべき位置を示した番号が書いてあります。迷う心配もほとんどないでしょう。
ただし、注意を要するのはここから。
上臈岩へは標識番号「K252」を通過後すぐにあるこの道標の脇から道を真北へそれます。ここがちょっとわかりずらいかもしれません。
今までの整備された道をいきなり外れるので不安になるかもしれませんが、ご安心を。それは、写真のような懇切丁寧な案内が現れるからです。
これはヤマレコユーザ「gakukohさんの取り付けた案内板」。現在位置が示してあるお手製の案内板がぽつり、ぽつりとあります。迷ったときは一度前の案内板まで引き返してルートを再確認。
とはいってもやはり地図やGPSでの位置確認は必須。愛知県民の森への下山はどのコースをとっても最低1時間はかかります。閉園時間も考え、車を停めている場合にはこの時間に間に合うように下山の時間を加味して上臈岩に立ち寄るかどうかを決めてください。宇連山を周るのはかなりのロングコースになるので、上臈岩だけを目指すだけでもよいでしょう。
尾根を北にすすむと、右に90°曲がる場所、『大曲』があります。視界が悪くここを直進してしまう人もあり注意が必要です。上の写真の場所を右に曲がるのが上臈岩への正しいルート。
ここを通過するといよいよ待望の展望が待ち受ける場所にやってきます。樹林が切れて突然に見える展望に思わず目を奪われるに違いありません。
尾根がやせている『馬の背』に到着するとパっと展望が開けます。
ここは…アジアか南米か? ちょっと日本離れした光景です。
吸い込まれそうなブルーの水面。見えているのは川ではなく鳳来湖の一部です。背後の三ツ瀬明神山のスケール感とが相まって海外の風景のように見えてしまう。
馬の背を先に進むと再び展望が。
ここまでくるとダムが見えました。鳳来湖をせき止めている『宇連ダム』です。ここが『中上臈』。そう、ついに上臈岩の一端に到着です。
中上臈からのパノラマは宇連ダムの奥にさらに鍵掛山などの山並みが続き、より空間の広がりを感じます。ちぎれ飛ぶ雲がさらに雄大さを強調し、大陸的な景観。
そう、実はブログのアイキャッチ写真はここからの撮影。
この時は私一人しかいないと思ってこのような写真はとても撮影出来ないと思っていたのですが… 岩陰で午睡を楽しんでいた方がいらっしゃって小1時間ほども話が弾みました。この時にi-phoneのパノラマモードで撮影いただいた1枚です。
この撮影方法、一人では無理ですが、同行者がいるとき、山で雄大な景色に出会ったときに試してみてください。ちょっと工夫するだけでずいぶん写真が変わるものです。
それにしても素晴らしい景観。上臈岩の標高はわずか400mあまりですがそれを感じさせないスケール感です。
上臈岩は遠くから見るとあたかも2つの大岩が連なっているように見えます。ここからは小さな谷(上臈谷)をトラバース気味に歩いてもう一つの岩壁へ移動します。このあたりにも、「gakukohさんの取り付けた案内板」があるのでご心配なく。
たどりついたもう一つの岸壁、こちらが本来の『上臈岩』と呼ばれているようですが、負けず劣らぬ素晴らしい景観。
『間の上臈』と呼ばれる場所から振り返る中上臈。
さらに先には『裏の上臈』もあります。
ここから馬の背まで、行きとは違う別の踏跡がありループ状に戻ることが出来ます。
断崖絶壁に思える上臈岩ですが、実は岩の下に降りて岩の中腹を周遊し、名前の由来となった『上臈が隠れ住んだという洞窟』を見ることが出来ます(上臈とは身分の高い宮中の女官)。この日は宇連山をプランに入れたのでその時間がありませんでした。
上臈岩で写真を狙うのでれば、絶対に午後です。鳳来湖の景観は東に開けているからで、午前中は逆光になります(西から東の景色を撮影するときの鉄則)。逆に岩巡りは東の岸壁側になるので、日が当たる午前中が楽しいでしょう。
帰りは中尾根を愛知県民の森へ。
中尾根も素晴らしい展望。最後の最後まで楽しませてくれる奥三河の山々。
大津谷の清流に下り立ちました。愛知県民の森はもう目と鼻の先。
奥三河の山のハイポテンシャリティはまだまだ人に知られていないのでしょう、混雑と無縁どころか、秘境感まであります。それでも上臈岩周辺は最近人気が出てきたと聞きます。
宇連山を中心として鳳来寺山や三ツ瀬明神山へは縦横無尽に尾根が伸びて雄大な山並みが広がる景観が楽しめることもあり、楽しみ方は限りなくある山域。
そもそも、愛知県にこれだけ素晴らしい山岳エリアがあること自体が知られていないかもしれません。もっと全国的に自慢してもよいのかもしれません。
『三河』の自慢は、徳川家康だけじゃあ…ないっ!
ベストシーズンはいつ? それは宇連ダムの貯水量を見てから!
誰でも上臈岩からの素晴らしい展望をベストコンディションで見たいと思うでしょう。では、ずばりベストシーズンはいつなのでしょうか?
冒頭に書いたようにまさに『日本のフィヨルド』と呼ぶにふさわしい名所だと思う上臈岩ですが、ここで何よりも大事なポイントがあります。どんなに天気が良くてもこれを外せばその魅力は大きく下がってしまう、ゆずれない点とは何でしょうか?
それは、宇連ダムの貯水率です。下の写真をみていただければわかるようにケニーが訪れた時、眼下の鳳来湖は満々と水をたたえていました。深く切り込んだ谷も湖面まで緑の樹々に覆われています。そう、緑の山並みと鳳来湖が満々と水をたたえていてこそ、あたかもフィヨルドのような錯覚をするほどに素晴らしい景観が楽しめるのです。このときの宇連ダムの貯水率は90%。
これが、水量が十分でないと湖面の下になっている山肌が醜くさらけだされてしまい、自然破壊の醜い傷跡だと思われるほど、とても残念な景観に変わってしまいます。下の写真時の貯水率は37%ほどでした。
クライマーのアプローチには干上がった湖底を歩いて行ける方が便利であったりしますし、ダムに十分な水が貯まっていなくとも登山が出来ないわけではもちろんありません。が、これではさすがに『日本のフィヨルド』と呼ぶには気が引けてしまいます。
2019年には渇水で貯水率がゼロになってしまったこともある宇連ダム。鳳来湖の水量のチェックは宇連ダムの貯水率を調べれば簡単にわかります。
蒲郡市水道課HP https://www.city.gamagori.lg.jp/site/suido/ure.html
以上からベストシーズンは宇連ダムに十分な水が貯まる可能性のあり、暖かく常緑樹の多い奥三河でも緑が楽しめる9月後半から11月上旬ではないでしょうか。
今回の写真を見ると、広い青空にちぎれた雲がほどよく点在しているおかげで、上臈岩からの展望がより一層スケール感を増していると思いませんか。
雲一つない晴天よりも、大きさが比較できる対象物として、雲が遠くの空にあるおかげで、奥行きが際立ちます。白く輪郭のはっきりした雲が青空にちぎれ飛ぶ日が期待出来る秋がチャンス。この季節をオススメする理由です。
【アクセス】
「愛知県民の森」(モリトピア愛知)へ。新城I.Cから国道151号線で15分。
ゲート開門は午前7時。駐車場(無料200台)あり。
JR飯田線三河槙原駅から徒歩でモリトピア愛知へ(徒歩15-20分)。
愛知県民の森 ゲートは 7:00ー20:00 (夜間は入れません)
宿泊施設(モリトピア愛知):予約制 https://www.aichipark.or.jp/kenmin/room.html
今回歩いたコース(©ヤマレコ)
訪問日 2018.4.28 / 2020.10.27