「お、ラオコーンだ。すごいなぁ、この苦悶の表情は。知ってるかい、ラオコーン。この人、神の怒りに触れて大蛇に巻かれて死んでしまったんだよ。こっちは、キルケーか。キルケーはね、魔女でさあ、妖術を使うんだけどね、それが…」

得意そうに彫刻を前に話しているのはケニー。その相手はまだ高校生の息子だ。父親として得意分野の事を語って、ちょっとした尊敬の眼差しを貰うのも悪くないなぁ。どれどれ、もう少しウンチクを披露するか。

「ちょっと待って、ヤジ。キルケーって、人間を豚に変えてしまうんでしょ。でもオデュッセウスはヘルメスの薬草で仲間を元に戻して助けるんだよね。そのあとオデュッセウスと敵のキルケーが結婚して子供まで作るんだから、ビックリだよ」

へ…何でそんな事まで知ってるの?これホメロスの書いたギリシャ神話だぞ。教科書にはこんな細かい事まで出てくるはずないぞ。

「オデュッセウス、キルケーのおかげで恐ろしい海の魔女セイレーンの歌を聴いても海に引きずりこまれなかったんだから良かったよ。でもどんなにキルケーを好きでも故郷に残してきたペネロペが忘れられなかったんだよね、ヤジぃ〜。違ってたっけ?」

むむむ、そ、そうだったっけか? 息子、いつの間に?

学校の教科書にはどこにも書いてない事。

先日、大きな手術後に始めて新幹線に乗り東京へ出ました。趣味の一つである美術展巡り。数ヶ月の入院の間に見たい展覧会がどんどん終了していきました。まだ間に合ういくつかの美術展。優しい息子は1人でヤジを東京まで行かせるのはアカンっ!! とついて来てくれました。

あ、「ヤジ」は私、ケニーの事です。息子がどうして私をこう呼ぶのかはまた、いつか書きましょう。

とにかく美術展なんて全く興味のない息子が一緒に「ミケランジェロ」の彫刻を見てくれる。内心、つまらないから早く早くと急かされてじっくり堪能出来ないのでは、とも思っていました。

それが、とんだ勘違い。何故にこんなに知ってるの?

「結構、歴史の人物、知ってるよ、ボク」

ニンマリする息子。その後、次々と世界史にも名前が載っていそうな古今東西の名のある英雄や著名人物の名前がワンサカと口から出て来る。あれ、息子は世界史なんて教科取ってなかったのに…。更には名前だけでなく、彼らにまつわるドラマや人間関係を結構細かく語ってくれた。これにはビックリ。

「なあ、学校でこんなの習ってないだろ? かと言ってヤジの持ってる美術の本なんか見向きもしないし… 何処でこんなにたくさん覚えたの?」

「Fate だよ。いつもやってるでしょ?」

大人の遠足、子供の学び

そうか、ネットゲームか。「Fate」はゲームに始まり、次にアニメ・ノベル化、その世界は拡がり続けている。魔術師が歴史上の英雄達を時空を超えて召喚、闘うという世界です。

日本からは宮本武蔵、沖田総司といった剣豪、中国から始皇帝、楊貴妃。イングランドのアーサー王や円卓の騎士たちもいる。カエサル、アレキサンダー大王、ギリシャ神話からメデューサ、前述のオデュッセウス、ヘラクレス、アキレス… 誰もが知る名前に留まらず、小説の世界からシャーロック・ホームズとその宿敵モリアーティなんて変わり種まで。

確かに彼らが歴史にどのように関わって、世界がどう変わっていったのかまではゲームからでは分かりません。ですが、明らかにゲームを通じて彼らの活躍が生き生きと息子には伝わり、彼の中では世界が拡がったわけです。

ひと昔前、教科書や書物でしか語られなかった英雄たち。映画や劇化されたりもしたけれども、経済的にも時間的にも成熟した大人の娯楽の範疇でからしか知り得なかった背景知識。

今は年齢を問わず知る機会が身近にあります。意外な事ですが、高校生も大人も昔に比べて一緒に楽しみ、語る事が出来る事が増えているのだと感じます。

無論、「ヤジ」が華麗にゲームで息子に勝つ事は出来ません。逆に歴史や美術については息子がまだまだ父には及ばない。まぁ、重ねた年齢が違うので仕方ありません。

でも、「ラオコーン」の彫刻を目の前にしてあれこれ親子で話す事が出来るのは、僕的には予想を裏切って、そしてかなり嬉しい。

●美術展なんてどだい大人の遠足だから、どうせ子供は付き合えない。

●ゲームなんて子供には遊びだから役に立つわけないだろう。

どちらも大きな認識の間違いでした。

この目で見よう。

「ラオコーンのこの筋肉ってすごいだろ?これ、後でルーベンスって画家がマネしたんだぜ。その絵はね、オランダのアントワープにあって、あの「フランダースの犬」の主人公の少年と犬が大晦日の夜にその前で凍え死んだ悲しい話があるんだよ。ヤジはその絵を見たから、今このラオコーンを見て納得するんだよね」

「へー、あのフランダースの犬の? 本物見たの、ヤジは?」

「でっかい絵だぞ。本や教科書の印刷じゃ、絶対に分からないぐらい大きいぞ。それが教会の中にあるからいいんだよ」

「ふーん。見てもいいかなぁ、ヤジと一緒なら」

息子の目が更に輝くので、余計嬉しくなりました。

本物を、そのまま見る。自分の目で見る。これが一番。全ては見る事が出来ないけれども、実物を見るのが一番。

ブログの可能性。

さて… 話変わって最後にブログです。ブログは今まで本物に触れる機会のなかった人の背中を押して、本物に触れる為に外へと誘えるのにどこまで力を発揮するのでしょうか。教科書のように配布される事もなく(強制ではない)、有料でも無い(好きでもないものには人はお金と時間を使いたくない)。ブログ記事の可能性は?

この記事を読んで、ラオコーンとルーベンスの絵の両方を見てケニーのいう事が本当かどうかを自分で見てやろう、という人はどれほどいるのか… 。ブログ記事も文章と写真とだけのシンプルなもの。後はどこまで世の人の目に留まり読んでもらえるか、です。

「見てきました」とコメントを返してくれる人が現れるのが早いか、はたまた息子が本物のルーベンスの絵を見る方が先か、ヤジはのんびりと待ってみようじゃあないか。

【比べてみよう】

★「ラオコーン」ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ 1584年 個人蔵 ローマ ガッレリア・デル・ラオコーンテ寄託。

『ミケランジェロと理想の身体』国立西洋美術館 にて撮影

★ルーベンスの絵

「十字架降下」ピーテル・パウル・ルーベンス 1611-14年 アントワープ聖母大聖堂 ベルギー

ルーベンスは果たしてラオコーンをコピペしたのか?? あなたはどう思います?

それは、自分の目で見てみるのが一番!