霊峰・高野山。
いにしえに空海が開いた、奥深い山上の一大伽藍。密教の聖地。
今は誰でも車で行けてしまう高野山に、空海の足跡をたどりながら、あえて自分の足で行こう。
「道そのものが」世界遺産
全行程、休憩なしで8時間。麓の九度山の町から高野山の大乗伽藍までの距離、およそ23キロ、標高差で600メートルあまりの長い道のりの「長石道」(ちょういしみち)。
この道はかって高山山への表参道として栄えていました。空海が麓にいる母親に会うために自ら何度も登り降りし、天皇や上皇でさえ下馬して歩いたという修験道。
麓、九度山町にある寺院・慈尊院から壇上伽藍の大塔へと22kmも延々と続く道のりには、108基もの石塔が一町ごとに立てられていることから、「町石道」と呼ばれています。
実はこの道そのものがユネスコの世界遺産。文化遺産と自然遺産の要素を持つので、複合遺産という位置づけです。「道」が世界遺産になっているのは、世界で2件しかありません。
世界遺産 『紀伊山地の霊場と参詣道』として「熊野参詣道」「大峯奥駈道」と並び「高野山町石道」として世界遺産の構成要素として登録されているのです。
『世界遺産の山旅』 をしたよ、というとなんだかちょっと自慢になりますよね。
天皇もチャレンジした平安時代の「グレートトラバース」
麓にある「道の駅 九度山」には世界遺産を紹介するスペースがあります。このジオラマからは当時の日本で一番偉い方々でさえ、この道は馬を降りて自分の道で歩いた事が分かります。
空海といえば、当時、密教修行を中国で行い、多数の経典を持ち帰ったいわゆるインターナショナルトラベラーのパイオニア。宗教界のスーパースターでした。
それがゆえに、天皇から京都に真言宗の本山として教王護国寺(東寺)を賜ったりと政治の世界からも特別な待遇をあたえられていました。
そう、たとえるならば中世ヨーロッパの国の王様とバチカン大司教のようなもの。一目置かれる存在。
皇族や貴族はこぞって空海詣で、高野山詣でに出かけました。
また当時、紀伊の国の奥にある熊野の山々は京の都から遠くにある天上世界とみなされ、その間に位置した高野山に詣でてから熊野の寺社をめぐる山の旅路を祈りました。皇族達にとっては何ヶ月も費やす長旅。
そう、今風でいうと、『日本百名山ひと筆書き』、グレートトラバースの平安時代版が、高野山から熊野への旅でした。
長石道は、吉野の山と並んで、まさにその一筆書きのスタートポイントのひとつ。
さすがに田中陽希さんの真似は大変ですが、せめて町石道を自分の足であるいて当時の旅に思いをはせてみよう。
せっかくなので、『語り部』さんと歩いてみた
よし、思い立ったらすぐ行動だっ!
実行日は厚くも寒くもないよい時季という理由で、ある年のゴールデンウィーク中の日を選びました。
調べると地元の観光協会では、山をよく知る地元のガイド、「語り部」さんを紹介もしているようだ。
これは面白い… 黙々と自分たちで山頂を目指すのもいいけれども、長い道中色々な話が聞けていいんじゃないか。しかも語り部さんは麓で現地集合し、一緒に山頂まで登ったら、あとはバスで自分で麓に下りてしまうので、1日のガイド料金だけで済んでしまう。
★語り部さんの案内は こちら
大手旅行会社ツアーでも語り部さんが同行しますが、その必要はありません。個人でも申し込めるのです。
いよいよ町石道へ…が、その前に
電車でアプローチするのであれば、起点となるのは南海電鉄高野線九度山駅。
空海はひと月に9度高野山を下って麓に来た母を訪ねたので、この地に「九度山」という地名が付けられたそうです。
車で移動した私たちは、九度山駅近くの無料駐車場を使いました。
そこから徒歩で5分ほど歩いて着いたところは、世界遺産にもなっている慈尊院というお寺。ここも世界遺産です。ここが町石道のスタートポイント。
ここ、実は外せない場所。
仏像ファンにはたまらない秘仏があるからです。
弘法大師の母君がこの寺に滞在し、高野山にいる空海は毎週長い山道を下って会いに来ました。そのため、女人高野と呼ばれています。
ここ、慈尊院で語り部さんと合流です。
慈尊院の多宝塔は空海自らの創立。
女人高野・慈尊院には子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って絵馬を奉納する女性が多く訪れます。
が、絵馬には「オッパイ」がついています!
男性からはなんだか見るとちょっと恥ずかしい気分。
つい、絵馬にさわってみたくなる気持ち、わかりますが… 大師さまに叱られて、さきの長い山旅に何かあってもケニーは責任持ちませんよっ!
絵馬の間を抜けると、弥勒堂。
訪れた時は、高野山開創1,200年を記念し、特別に50日間にわたり弥勒堂の御開帳が行われ御本尊の弥勒菩薩座像を拝む事が出来る貴重な期間でした。
(慈尊院HP http://jison-in.org/about/mirokuzou.html )
これが、内部に安置されている弥勒仏坐像です。昭和35年(1960年)に専門家の目に留まるまで秘像として世に知られていませんでした。平安前期の仏像の傑作として、実査翌年の昭和37年11月重要文化財に指定されます。
翌昭和38年3月末には、さっそく国宝に指定されるという、スピード出世の仏像です。
21年毎、しかも数日だけの公開となる秘仏中の秘仏…次のご開帳は2036年!
いよいよ町石道へ。
慈尊院の境内を抜け、石段を登っていく途中、ふと右を見ると確かに… ありました、最初の町石です。
町石は、大乗伽藍にある根本大塔を起点にしているので、慈尊院にあるこの石塔が180町にあたります。歩くに従って現れる石塔は順に番号が減っていくわけです。
先端は五輪塔の形。地輪は方形(六面体)、水輪は球形、火輪は宝形(ほうぎょう)屋根型、風輪は半球形、空輪は宝珠型です。
さて、これからいよいよ本格的に町石道に入っていきます。
続きはまた②以降にて。
(ラショウモンカズラの花。町石道は花も楽しめます)