『コラ、そこの人っ! 携帯は禁止だと言ったでしょ? 』
大きな声にビックリしたその人は、一瞬「ムッ」としたように顔を上げ、バツが悪そうな顔をして携帯から手を放した。
ところが、話はそこで終わらなかった。
『あの~、携帯そのものがダメなんですか?』
運転免許の違反者講習の場で
免許の更新の通知ハガキが届いた。
随分と便利になったもので、今では住まいの近くの警察署でも出来るようになった。
当日受け取りが出来ないなど、色々条件はあるのだが、遠方まで出向かずとも免許更新が出来るようになったのは有り難い。
忘れていたのだが、免許証を改めて見ると、見事なライトブルーの帯がついている。
残念ながら、ピカピカに輝くゴールドの免許を手にしたことが一度もない。
万年 “ブルー免許 ” 運転者には、免許更新のたびに「違反者講習」というものを受けることが義務になっている。
しかもお金を払わないといけない。トホホ…
ということで、わざわざ、県の公安委員会(いわゆる県の自動車教習所)に直接出向かざるを得なかった。
違反をしておいて、文句も言えないのだが、それこそ昔の学校の教室のような部屋で講義を聴き、安全運転啓蒙のビデオを見る2時間はなかなかにキツい。
真面目に受講する姿勢はあるのだけれども、「昨年の交通事故による死傷者は〇〇人で、そのうちシートベルトをしていなかった人はXX人でした」などと言われても、なかなか実感がわかない。
教習車に乗って実際に運転実習をしていたほうが、よほど身が引き締まるよ… などとボンヤリ思いながら、襲ってくる眠気とたたかっていた。
と、突然、講義をしている教官が声を荒げて、われにかえった。
『そこ、そこの2列目の男性の方っ』
ん…、何事?
『携帯をいじらないで。ちゃんと話を聞いてくださいっ』
よかった、自分が怒られたわけではない。
『講習中は携帯電話もスイッチを切っておくか、マナーモードにしておいてください』
見ると、指摘された男性は、バツの悪そうな顔でうつむいたままだ。
何か言いたそうに何度か顔を上げるのだが、コワモテの教官の威圧におされてか、またうつむく。
『皆さん、講義中に私語や携帯電話での通話で、退席してもらうこともあるんですよ。退席したら、再受講は出来ません。手続きを最初から行ってもらうことになりますからね』
男性は何か言いかけたのだが…
「あ、あのう…」
『携帯のスイッチはマナーにするか、切ってください。』
「ハイ、分かっています」
教官は明らかに、この反論にはカチッときたようだ。
顔色が変わった。
「ちゃんと、マナーにしています」
だんだんイラついてきた教官。
『講義中は携帯をいじって他事をしない事! 聞いていなかったんですかっ!』
「…は、ハイ。あ、いや、その…」
『じゃ、どうして携帯なんか触ってるんですかっ! 集中してない証拠じゃないですかっ!!』
腹のムシがおさまらない教官はツカツカと男の人に歩み寄って顔を近づけた。
教官といえど、巡査部長以上の警官、あるいはそれに準ずる警察職員なのだ。
そんな身分の人が、ず、ず、ず、ずいっ とにじり寄れば、普通の人はやはり一歩下がって引いてしまう。
「そ、それは…」
『携帯を渡してください。講義中は預かっておきます』
「えっ、そ、それは…困ります」
『困るような事しているからでしょ、アナタが』
「ちゃんと真面目に聞いてました、お話は…だから携帯を…」
『ハァ? 何言ってるんですか?』
「だから… 携帯の画面見てくださいよ。真面目に聞いてたんですから」
(まったくコイツは何をわけのわからない言い訳をしているんだよ)
明らかに教官の顔はそう言っていた。
が、とりあげた携帯の画面を見た直後、教官の顔が変わった。
一番真剣だった受講生
『こ、これ、これって…』
「そうです。僕、講義の内容をメモっていたんですけど」
『今の講義を…ですか??』
「ええ。だって、〇〇県の死亡事故が何件あって、XXが理由で助かったのが何パーセント、もしシートベルトしていたら助かったらこれだけの人が助かったって、全然知らなかったんです。へぇ~って思ってメモっておこうかなって。だって一度聞いただけじゃ、すぐ忘れてしまうじゃあないですか」
直後に誰かが大きな音でわざとらしく「ゴホ、ゴホンっ」と咳をした。
教官が男性の顔から頭を上げて周りを見渡すと、どうしようもない「しら~ッ」とした雰囲気が教室にあふれている。
さすがにバツの悪そうな教官は、何を言っていいのか分からなくなったようだ。
『携帯はね、ダメ、ダメなんですよ。講義中は』
いやいや、違うでしょ。
『あの~』
後ろで気だるそうに講義を聞いていた若い女性が声をあげた。
『私もメモとっているんですけど、携帯で。ちゃんとマナーモードでメモ書きは出来るんですけど、いけないんですかぁ?』
ダメ押しのようにもう一人、中年の男性から…
『あの~、携帯そのものがダメなんですか? メモ、いけませんか?』
… こと、ここにいたり、教官は二の句もつげられなかった。
「分かりました。本来はダメなのですが、仕方ありません。」
「え…と、ここからは…。あ、そう、ここからはビデオを見ていただきます」
ビデオが始まり、この会話のやりとりはこのまま終わってしまった。
なんだかはっきりとしない、間の悪さが残ったが、暗闇に映像が流れる教室の中では、教官どころか隣の受講生の表情すら、もう分からない。
映し出される事故の映像よりもさっきの事が気になって集中出来ない。
要は携帯そのものを講義時間からシャットアウトしてしまう、のであれば、『メモは紙にとってください』として筆記具を部屋に準備しておくなり、事前に一言説明をしておけば済む話。
ところが、『携帯をさわっている』→『他事をしてヒマをつぶしている』→『講義を聞く気が無い』
と思考が連鎖してしまったわけだ。
レッテル貼り(プライミング)の悪い例というしかない。
『意識の9割は無意識』の言葉どおり、気づかないうちに『スマホはよくないもの』と刷り込まれてしまっていたからの発言なのは間違いない。
結局は人と人の『信用』の話に帰結する。
”スマホを見ている人は信用できない” と思う教官と、”教習所の講師なんて上から目線の人ばかりだろ” と思う受講生。
『レッテル貼り』をすることで、人は知らない他人に対していくらかの安心感が欲しいだけではなかろうか。
良くも悪くも、「何か」が分かった気でいれば、まったく未知なものに対する不安はいくばくか和らぐ。
日々、多くの受講者を相手にし、限られた時間で講義をおこなわなければいけない教官のストレスもよく分かる。
ビデオ映写が終わるころには、新しい免許証が出来上がってくる。
結局、受講者全員に新しい免許証が手渡された。順番に名前を呼ばれて受け取りの際、たまたま近くで聞いた、くだんの男性にそれを手渡す時の教官の一言がとても印象的だった。
『悪かったね。オレ、スマホ持ってないんだよね。分からなくって。でも、講義を一生懸命に聞いてくれてありがとう。今度はあなたの免許の色がブルーじゃなくて、金ピカになるといいね』
教官に言われた方の男性の表情は、こちらに背中をむけていたので分からなかった。
だが、言葉を交わした教官の顔の表情は、朗らかで、多少の照れが入っていたように感じた。
お互いのレッテルがはがれた瞬間だった。
教習所の門を出ると、涼やかな初夏の風が頬にあたった。
手もとに受け取った新しい自分の免許証。ブルーのラインが印刷されているのは、相変わらずだった。
ふと見上げると、その何倍も明るい、ぬけるような同じブルーの青空が広がっていた。