種子取祭(タナドゥイ)見学記 -『竹富島で会いましょう』④ ユークイは夜通しの島最大の行事

奉納芸能の後、世持御嶽ではイバンカミ(九年母戴み)の儀式があり、クネンボと呼ぶ柑橘類の葉をいただきます。

それからいよいよ世乞い(ユークイ)が始まります。

途中ヌケはダメ!夜通し参加のユークイ

何気なくクネンボの葉をいただくのですが、この葉こそが続いて始まるユークイへ参加する印となります。

イバンカミの儀式に参加してクネンボの葉をいただいた人は翌朝にその葉を返すまで、「ユークイヒトゥ(人)」となり夜通しでユークイに参加しなければいけないしきたりがあります。

途中抜けは出来ません。

その証として、いただいたクネンボの葉を白い布(ティサーヂ)に包んで鉢巻にして頭に巻くのです。

豊穣祈願の唄をうたい、太鼓や銅鑼を鳴らしながら、人々は列を作り歩きながら各集落の神司(かんつかさ)宅や公民館の世話役の家をまわります。

その数は100人を超えるのではないかと思うほどでした。

訪問を受けた家は、その家の中に皆を入れて御神酒や供物を振る舞い、その後皆でまた豊穣祈願の唄をうたい、踊ります。

一軒あたり1時間ほどで次の家へ向かう行列。これが翌朝5時過ぎまで何度も繰り返されます。

つまり、竹富の人たちは約36時間不眠で祭に参加するのです。

ユークイは、種子取祭を統一した根原金殿をまつる根原屋から始まり、次に与那国家、その後はさらに三集落に別れて夜通し続きます。

私たちは根原家の次にユークイ行列が向かった与那国家の祝いに参加しました。

そう、このユークイ、竹富島の住民や出身者ではない観光客でも参加が出来るのがユニークな点。

参加するのに必要なものはただ一つ、同じティサーヂだけです。

イバンカミの儀式に参加してクネンボの葉を授かった島民たちは途中ヌケ出来ませんが、私たち観光客はそうではありません。

このティサーヂ、昼のうちに世持御嶽前の庭でお弁当を購入した際にいただきました。

てっきり、祭だけのみやげ物とばかり思っていました。

実際に参加してみたユークイ

道中では「道うた」をうたいゾロゾロと暗闇の中を進むユークイ行列。

各家の敷地に入ってからうたわれるのが「巻きうた」。文字通り、庭の中をぐるぐるとうたいながら回ります。

次に庭でうたわれるのが、男女に分かれての「しきどうよー」。奉納芸能の演目にもありました。

最後に「ガーリ」を唄い、ようやく参加者たは与那国家の座敷に上がりますが、とても入りきれない人数。

そこで、縁側の窓を全部取り払い、残った人々を迎えたのでした。

ミルク (弥勒) を代々祀る与那国家。この掛け軸のある間には普段女性は入れません。

まず、御当主はじめ与那国家の方々がねぎらいの言葉を述べます。

大切な祈祷の言葉が与那国家から告げられていく。

続いてもてなしの酒が振る舞われます。

併せて供されたのは、「ピンタコ」と呼ぶタコとニンニクの酢漬けです。

女性であってもタコのニンニクをいただきます。これに泡盛が加わるのですから、実はなかなかに強烈です。私の連れは翌日かなりすごい臭いを周りに振りまいていましたが、島中の人たちが集団でトリップしてしまったような有様でしたので、気にもなりませんでして(笑)。

また、このお酒はミルク神の神聖なものなので、必ず正座して飲まないといけません。

ユークイでの振る舞いが分からずとも、地元の方のされるように見よう見まねで構いません。

何より共に豊穣を祈る気持ちが大切とされ、見知らぬ人であれ、共にシンカ(仲間)となりチムグクル(肝心)を分かち合うのです。

最後に頂くお酒だけは足を崩して飲んでもよく、思わず一座から「はぁ〜」と声が漏れました。

箸で手のひらの端に盛られた塩をいただきます。

当主の口上の後、再び唄と踊りが催されます。

配られたのはユクイウタの歌詞が書かれた冊子。

竹富公民館の方々の丁寧なおもてなしには感激します。

ここからは「いぬがだにあよー」、「にーうりゆんた」をうたいます。

若衆(二セータ)が年長の方々に指名を受けて踊ります。ユークイは最高潮に。

「かしくさや うつぐみどぅまさる」

ユークイの魅力はこの言葉に尽きます。

島の人たちから聴いたのは、種子取祭に参加して一番感激したのが、この「ユークイ」だ、と語る人が多いという事です。

参加して感じたのは、島の人々との一体感でした。ほんの少しの時間であっても丁寧なもてなしを受け、ともに神に祈り、唄い、踊る。

古来から、旅人は沖縄では幸運を運んでくるとしてもてなされて来たと言います。

ただもてなすのではなく、自分たちが念じる精神にまで我々を誘ってくれます。

そして、そこで感じたのは島の人々の驚くほどの絆、団結心でした。

「かしくさや うつぐみどぅまさる」

(賢いこととは うつぐみ(一致協力)に勝るものはない)

500年前の島の偉人、西塘氏が残したこの言葉を心に刻んで、竹富の人々は毎日を神と共に過ごしているのだと思いました。

祭が終わり、島を去る日の朝。

港から振り返る島に後ろ髪引かれる想いでした。

たった一晩だけではあれどもその団結心を島の人々と共有出来た事にこそ、自分が感動した事に、初めて気がついたのはこの時。

「チンダラカヌシャマ マタハリヌ 

(美しい人よ、また逢いましょう)

BEGINが歌ったように、また行きたい島、また逢いたい竹富島の人々が船上から見る島影の上に重なった時でした。

(竹富島の港から帰路に着く。石垣島・於茂登岳が高かった。2014.1.1.10)

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