今秋閉館した名古屋ボストン美術館。最後の展示会のタイトルは『ハピネス 〜明日の幸せを求めて』でした。実はこのブログタイトルのヒントにした美術展です。

英語で『ハピネス』Happiness….. 日本語にすれば『幸せ』、誰でも知っている言葉です。でも英語の『ハピネス』は何となく日本語の『幸せ』とは違うニュアンスを感じますよね。そう思いませんか?

『私、幸せになりたいのっ!』

『俺、君を必ず幸せにするから。約束する。』

『あなたが幸せであるように祈ってるわ…』

どうも、「幸せ」とは〝なったり〟〝探したり〟〝させる〟〝 ものらしい。でも、形ある物でもないから、「幸せな状態」であるのを表現しているのでしょう。

では、「幸せな状態」とはどんな時なのでしょうか。美味しいものを食べて満足している時。綺麗な景色を見て気分が良い時。可愛い子供がこちらを見て微笑んでくれて思わずほっこりした時。誕生日に思わぬサプライズプレゼントをもらって感激した時。

満足、爽快、感激、歓喜…色々な言葉で人間はその幸せな状態を語るのだけれども、結局はこの一言に集約されるのではないかと思うのは、『満たされている』。

人生は、嬉しい事ばかりでなく、悲しい事、寂しい事、恐ろしい事も起こる。負の感情を抱く事も多々あります。でも、いくら負の感情がいっぱい心の中に詰まっていても、人は誰も『幸せ』とは感じませんよね。『幸せ』という言葉には、それら負の感情を何処かへ追いやってしまった感情というニュアンスがあります。

だから、他人から『君を幸せに 〝する〝』という言葉が生まれます。幸せとは『感情』なのだと感じます。しかも負の感情とは裏返しの、切っても切れない関係。相対的、社会的。

かたや英語の『ハピネス』。

知人の外国人に聞いてみた。日本語の『幸せ』とどう違うの?

返って来た答えは次のようなものだった。

『そうですね、もっと英語のハピネスは日本語の幸せよりもプリミティブな意味があるのだと思います』

プリミティブ、とは「原始的」と訳すのが普通なのだけれども、この場合には「素朴」がぴったりの言葉だと直感的に感じた。

自分の心という入れ物に入ってる嬉しく感じる事のできるもの…多分、誰もが生まれつき心の中に持っているものが、『ハピネス』の本質では。

子供の頃って、楽しい思い出でたくさん満たされていたと感じませんか。大人には似合う『幸せ』という言葉。でも子供たちには『ハピネス』の方がずっとしっくりとくる。それは『幸せ』(感情)のように複雑な側面を持っていません。

『ハピネス』は大人になって忘れてしまうだけ、生まれた時に誰もが持って生まれたもの。『幸せ』のように負の感情を排除する事なく、あるがままのものをそのまま包み込むもっと大きなものではないのかな?

このブログのタイトルは『届けハピネス』なのだけれども、ハピネスは他人に配ったり、あげたりするものでは無かった…。大人になって忘れてしまった自分の中のハピネス。でもそれに気づいたら、その先ずっとその存在を心に感じられるような気がします。幸せ、と違って他と比較する事もないもの。

自分の心の中の『ハピネス』をもう一度探してみよう。子供に帰って、つまり生まれたままの無垢で素直な状態に心を戻して行く事がそのアプローチだと思う。

ハピネスを届けたい、とは言ったものの、実はもう誰もがすでに持っているものだった。このブログのタイトルは変えられないけども、書く事を通じて皆さんが『ハピネス』を再び探し出せる手伝いが出来れば嬉しいです。

2018/10/30はてなブログ投稿記事を移動・再編集しました。