漠然とした不安と恐れに苛まれたこの数週間の事を前に書いた(こちら)。

その後も不安定な気分で毎日が過ぎて行く。たまにブログの更新が途切れるのは時間が無いからではない。書く事ばかりではなく、あらゆる物事に対しての積極性が失せて不安だけが頭を持ち上げてくる。毎日が長く、気を紛らわせようと色々トライするのだけれども、心から楽しめない、安らげない。

そんな毎日に、僕の家族達は寄り添ってくれている。驚く程に静かに、でも優しく。不安よりも安心を、辛さよりも安らぎを。

僕が心筋梗塞で倒れた後、奇跡的に助かった後も入院、手術、リハビリと長い病と隣り合わせの生活だ。だけども務めて前と変わらない接し方をしてくれている。普通に、普通に。拍子抜けするほどかも知れない。

ところが、自分が倒れてから意識不明で生死の境をさまよっていた5日間、毎日昏睡している僕を見ていた家族は、実はすでに最悪を覚悟していた。後で聞いたが、家族にとってはいつ最期の別れになるかも判らない「今生の別れ」の瞬間がいつ来てもおかしくない時間。2度と目が開かない事を受け入れなければいけないのはあまりにも大きな悲しみで、潰れてしまいそうだったと聞いている。

かたやその時僕はその気持ちを共有していない。意識のない状態でベッドにいて、呼吸さえ機械に任せざるを得ない状態で、コミュニケーションどころか、目の前に誰がいるのかも知らない。誰かが側にいたのかさえも意識が無い。

「死」というものへの不安感は家族の間では一度その時に突き抜けてしまっている。再度目覚めてから生きたこの120日は、おまけのようなもので、言葉は悪いけれども家族にとっては「もうけもん」だ。

ところが、僕の方はどうだ。生きながらえた当の本人が、今更ながらに漠然と死ぬ事に恐れを感じている。些細な身体の毎日の変化に不安を感じ、何でも悪い事に結び付けようとしている。

そりゃ、そうだ。自分は死の淵を彷徨った事を実感していないのだから。心臓のバイパス手術はしたけれども、これは今後再び同じ原因で倒れる事のないようにある意味予防を講じるオペという側面が強い。だから、術後に「生きた!」という安心感に加えて、次の一瞬、明日の自分、更に先の日々の安堵への渇望が前よりも増していた。当然だと思うけれども。

それは反面、「死」に対する恐れをいやでも増してしまっている。これが現実だった。

「治したハズだろ? なんで今更あちこちおかしいんだよ? 手術、実は上手くいかなかったのか? 」

「実は他にも悪いトコがあって、どんどん悪化してるんじゃないか?」

開胸手術をしたのだ。大げさに言えば、身体の構造だって手術した事で変わっている。身体が違和感を感じ、それに慣れるまでに時間がかかるのは当然だ。

心臓そのものに異常はないのに、胸の痛みや動悸、息切れなどがしたり、鼓動が耳に不必要に大きく聞こえる。なのに、病院での検査の結果は心配する程でもない。自分でも今後の事を考えて常時アップルウォッチを付けていて心拍数を確認出来るようにしているが、問題ない範囲内。血圧も図るが高くも低くもない。

調べると、心筋梗塞などの心臓病を経験したことによる再発の不安から、真の狭心症ではない胸痛などを感じる心臓神経症というものがあるらしい。自分はこれじゃあないのだろうか。今の僕に症状が当てはまる気がする。何らかの不安がある場合におこることがく、不安神経症の一種と考えられている病気だ。

心配する際に声をかけてくれるのは嬉しいのだけれども、中には本人の不安を助長するような言葉を出す人もいる。本人が一番不安なのに、「大丈夫なの 何処がおかしいの?」と本人に聞くのだ。何処がおかしいのかって? 何でこんな症状なんだ? これ、治るのか?

それもこれも全部、僕が一番知りたい事だよっ!!

そんな当たり前の事、本人の目の前で頼むから言うなよ! 余計気になるじゃあないか。本人が知っていたら、こんなに不安にならないよ

相手を気遣って出る言葉のようで、実はその人自身の不安や苛立ちから出る言葉も多い。家族ならば、当然親しい身内が苦しんでいるのだから、自分も理解したいと思う気持ちはとても理解出来る。でも、でも、それでも本当に病気の本人の事を考え、気持ちを想像してくれるならば、まず言う事で相手にどんな化学反応が生まれるのかをまず想像して欲しい。

幸い、今の家族とはそんなやりとりがない。居てくれるだけで、気が安らぐ。1人だったら間違いなくメンタル的に押しつぶされている。

僕が倒れた事で、家族と僕の心の中で大きな変化が起きた。それぞれが全く違う変化のようでいて実は同じ事の表と裏だ。コインのように。違うのは「不安」という裏の顔を見たタイミングだけ。

コインを転がせば裏になるか表となるか、分からない。でも、コインはコイン。変わらない。楽しい表を見るか、つらい裏を見るか。

「ヤジ、死ぬ事以外は、かすり傷、かすり傷!」

うーん、ずいぶん乱暴な言葉だが、すごく気が楽になるよ、その言葉。ありがとな、息子よっ !

どうせなら、君たち家族と同じ側から一緒に、同じコインの表面を見ていたいな、まだまだずっと。