京さんぽ ④清明神社と六道珍王寺 閻魔大王をめぐる二人の術者

実は閻魔大王に救われていた平安のヒーロー、安倍晴明

野村萬斎さん主演の夢枕獏の小説を元にヒットした映画『陰陽師』(2001)を覚えている方も多いだろう。華やかな平安王朝の都は実は格好の日本的ファンタジーの舞台だった。西洋でいえば剣と魔法使いの中世ロマンと同じ、華やかな京の都に潜む闇と戦う日本版ソーサラー(魔術師または妖術師)がいわば『陰陽師』だった。

その主人公が安倍晴明。

京都には晴明ゆかりの『晴明神社』があり、最近の晴明人気もあってたいそうにぎわっている。映画の晴明よりもむしろ岡野玲子の漫画で描かれたイケメンで超エレガントなイメージのおかげだろうか。

晴明神社は京都御苑近くにある。
フィギュアスケート選手の羽生弓弦が映画『陰陽師』のテーマ曲をプログラムに用いて(SEIMEI)、オリンピック二連覇を果たしたのも記憶に新しい。本人も願かけに訪れていたようだ。

ここに見える星のマーク。境内の中でも提灯や鳥居などあちこちで見る事が出来るこの印こそ、晴明の象徴…『晴明桔梗』(せいめいききょう)だ。

当時の陰陽師はれっきとした官職であって、晴明の名前は藤原道長の日記『御堂関白記』(国宝)などにも出てくるほど。禊(みそぎ)を行って一条天皇の病を回復させたり、公卿の依頼に応じて吉凶を占ったりと公務多忙であったようだ(科学の発達していない当時では『占い』などは国家的重要事項であった)。

それがいつのまにか超自然現象を操り、都を跋扈する魑魅魍魎と戦う妖術師ヒーローとなって現在に至っている。

そんな晴明の超自然的パワーの源は何だったのであろう。彼には北欧神話や中世ヨーロッパの伝説などに出てくる魔導士たちがその妖術を学んだ「師匠」のような存在の気配はみじんもない。

『晴明桔梗』…実はこの印こそ、彼の妖術の源。本当の名称は『五芒星』(ごぼうせい:別名ペンタグラム)。五つの角には陰陽道で重要な「木・火・土・水・金」の意味が込められている。

この印、晴明が生まれつき持っていたものではない。なんと彼がこの印を授けられたのはこの世ではなかったのだ。

ところ変わって、京都洛東。金戒光明寺のそばにある真如堂は春には桜、秋には紅葉が美しい天台宗の寺。実はここに清明の五芒星を源としたスーパーパワーの起源の謎を解く鍵があった。

桜咲く真如堂  (2019.4.13)。別名『真正極楽寺』。

毎年7月25日だけ公開される寺宝『真如堂縁起』。この中に描かれているのが晴明がなんと地獄で閻魔大王から五芒星の印を授けられた場面。

不慮の事故にあい瀕死となった清明。この時、真如堂御本尊の脇侍である不動明王が現れて、清明の命助けるよう地獄の閻魔大王に懇願すると、大王はそれを聞き入れて清明は生き返ったという。その際、閻魔大王は『娑婆へ持ち帰り、あまねく諸人を導くべし』と、亡者を極楽浄土へと導く不思議な力をもったこの印を清明に授けた。

つまり、清明が得たスーパーパワーは閻魔大王が授けたものということになる。

亡者は死んだ後、初七日、二十七日、三十七日と7日毎に地獄の十大王の裁きを順次受けていき、2年後にようやくすべての裁きを経て極楽浄土へ旅立っていくのだが、不動明王は初七日に今でいうと「弁護人」として懺悔を聞く立場で現れる。

亡者が会うあの世で審判を下す恐ろしいイメージが定着している閻魔大王だが、『地獄の沙汰も金次第』と言う。初七日の供養は弁護人である不動明王への「遺族からの心づけ」でもある。

(六道珍皇寺の閻魔大王像 2018.5.19)

不動明王や現世で晴明との別れを嘆き悲しむ公家たちの涙に心動かされるような大王ではあるまい。ならば、「心づけ」に閻魔大王が裁きを変えたのだろうか?

いやいや、五芒星などというミラクルパワーの源を渡してしまうのだ。同情や金銭ではない、何か大きな理由があるに違いない。

スーパー陰陽師・晴明誕生の影の立役者、実は日本のパラレルワーカーのさきがけで、勤務先は…冥界?

安倍晴明のエネルギーの源は閻魔大王の与えた五芒星だと分かったが、『稀代のスーパー陰陽師』誕生にかかわるもう一人の妖術師がいることを書かねばいけない。それが『小野篁(おののたかむら)』。

(六道珍皇寺の小野篁像 2018.5.19)

この名前、どこかで聞いたことがある人も多いはず。そう、百人一首の歌で名を知られる『参議篁』その人だ。

”わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海女(あま)の釣舟”

「参議」とは太政官の役の一つであるので、小野篁は朝廷の役人として官職であったことは間違いない。今風に言えば上級国家公務員であったから、魔術や妖術とはほど遠いイメージだ。「陰陽師」も公務員の立場であるが、「参議」は政(まつりごと)の中央にいる、いわば国家の閣僚。その上、百人一首に選び出されるほどの和歌の名手なのだ、どちらかといえば優秀な貴族ではなかったかと思う。

ところが言い伝えによると、彼は昼は朝廷で働いていたが、夜は夜で『あの世』への通路を通ってなんと閻魔大王の下で働いていたのだというから面白い。今でこそ「副業」は当たり前でパラレルワーカーは世の中に多いが、篁は平安時代からこれをこなしていたのだ。

京都国立博物館近く、六道珍皇寺には、篁がこの世からあの世へと向かう入り口として使っていた井戸が残っている。

(右奥に見えるのが『冥途通いの井戸』 2018.5.19)

百人一首に収められた篁の歌は、自身も乗船する予定であった遣唐使船のいざこざをめぐり、嵯峨天皇の逆鱗にふれてしまい、官位をはく奪されて隠岐に流されるときに詠んだものだ。自分の信念を貫き、いわば上司にも意見する気概の持ち主であった篁。

この世でも卓越した能力を存分に発揮していたが、閻魔庁でも第二の冥官の地位に就き、閻魔大王の補佐役として働いていたというから大したものだ。

先の閻魔大王像は篁が作ったという言い伝えが残っている。

(六道珍皇寺の閻魔堂。この中に小野篁像と閻魔大王像がある。2018.5.19)

平安時代に生きた二人の妖術師だが、実は生きていた時に出会う事はまずなかった。400年続いた長い平安時代、晴明は篁の死後100年もたってから生まれたからだ。

それでも、篁が死後、かつての勤務先(?)であった冥界に行ったのなら、元上司であった閻魔大王がアドバイスを求めたとしても不思議ではない。いや、死後もそのまま地獄で再就職して勤勉に仕事に励んでいたかもしれない。

そんな時、不動明王が閻魔大王に晴明の命を助けるよう懇願してきた。閻魔大王は自分の右腕であった篁に相談をしたに違いない。

「お前はどう思う、篁? 人間界の事は私よりもよく知っていようが」

「はい、閻魔様。思うにこの晴明という男、死なすにはもったいなく存じます。今、京の都は藤原氏の力が衰え、不安な世相でございます。社会構造も急激に変わっており、民たちの不安に付け込もうと闇の勢力が機をうかがっております。このままでは亡者たちが大量に増えて大きな混乱になりましょう。閻魔庁にとっては一大事になりかねませんぞ」

「それは困ったことだ。では、どうしたらよい、篁よ?」

「不動明王が懺悔を聞いて命を助けてやりたいと懇願してくるような人物です。大王の印を授けて俗世で人々を極楽浄土へとうまく導く助けとなる仕事をさせてはいかがでしょう」

こんなやりとりがあったかもしれない。

あの世とこの世、どちらが『本業』でどちらが『副業』なのか… いやいや、有能な篁はどちらにもフルコミットしていたはず。

死後も現世のために知恵を働かして閻魔大王を動かしてスーパー陰陽師誕生に一役買った影の功労者であったのだと思う。
晴明は85歳まで生き、彼の死後五芒星と念持仏の不動明王は真如堂へ納められた。晴明の墓は嵐山・渡月橋近くにあり、彼の屋敷跡には先に書いた晴明神社が建てられている。

『知の旅』

京を旅する時の面白さは、歴史上の人物たちをあれこれ想像しながら歩くことにある。史実と言い伝えが混在し、旅する自分の空想の入る余地が大いにある平安時代は特に面白い。この時代に生きた人物にゆかりのある場所も多い。

寺社仏閣や名勝でその美しさに癒される旅もいいけれど、今回のように「もしかしたら晴明と篁はどこかで接点があったのでは?」などと大いに想像力を刺激される歴史上の人物たちに想いを馳せながら歩く千年の都の『知の旅』も面白い。

そして何度でも行きたくなる。

(六道珍皇寺の門前には 『六道の辻』の碑がある。 ここより東、清水寺のあるあたりの丘陵地は当時、鳥辺野と呼ばれる京(みやこ)の死者の埋葬地のひとつだった。2018.5.19)

 

取材日:

六道珍皇寺(2018.5.19)

清明神社 (2021.2.28)

真如堂 (真正極楽寺)  (2019.4.13)