『語感』というものは思った以上に人の思考に大きく影響するのだと思う。

もっとも身近な例が『問題』という言葉だろう。

A「今月は売上が少ない。利益も減っている。これは問題だ」

B「問題なことに、子供が学校にいかなくなってしまって、家にこもってばかりいるんだ」

C「最近、うちの子供はゲームばかりしている。問題だよ…」

負の感情を生んでしまう言葉

上記の例をとると、事実は単純にこうなる。

A 「今月は売上が少ない」

B 「子供が学校に行かなくなってしまって、家にこもってばかりいる」

C 「最近、うちの子供はゲームばかりしている」

話しかける相手に対して、単に事実を伝えるだけの場合、これだけの言葉で終わりだ。
かえってくる言葉はたぶん、次のようなものなのだろう。

「へえ、大変だねえ」
「何かあったのかい? それは心配だな」
「あれまあ。でも大丈夫さ」

でも、『問題』という単語を1つ付け加えるだけで聞く相手が感じ取るのはネガティブな感覚だ。

同情したくても、気持ちを分かってあげようとしても、もっと話をきいてあげたくても、
たったヒトコト、『問題だ』と付け加えられるだけで、そんな気持ちがスーっと失せていく。

それほどまでにこの単語は影響が大きい。

問題、の本来の意味は決してネガティブなものではなく、ニュートラルだ。
言葉の定義上では、『問題』という言葉は

答えを求めて自分もしくは他人が設けた『問い』

を指している。

なのに、人が『問題』という言葉を口にする時に抱いている気持ちは一方向を向いている。
そこには ”楽しさ” や ”嬉しさ”、”喜び” の感情が隠れていることはまず…ない。

『いやあ、問題が多くってね… 忙しくてたまらないんだよ。困ったものだよ』

という人がいたら、それは根っから忙しくしていることが好きな人で、それは単に「くせ」にすぎない。
顔は笑っているはずで、わざわざ『問題』という言葉を使って逆にその楽しい感情を表現しているだけだ。

ほとんどの場合、「問題」という単語を付け加える人があえてそれを口にするのは、気持ちがそうしてもその言葉を言わせるからにほかならないのだと思う。

何も解決せず、聞く相手を単に不安に陥れるだけ。言って何か得することはまずない言葉。

だけども、ついつい自分の口からも出てしまう。

その心理はなんなのだろう?

正解のない『問題』に悩むのは当然なのだけれども、そこには絶対的な正解があろうはずがない。

ならば、個人としての結論を導いて納得するしかない。

裏付けや根拠、理由をもとめるのは、何かに納得することで心の安心が得られるからだ。

『あの人もそういったから、この結論は正しいんだ。(うん、安心した)だからこれでいいんだな』
『多くの人がこう言っている』

自分が何に納得する事で、自分の出した結論に納得するのか?

同じ結論を出す人が多いから安心し、納得する人もいる。

思考を重ねたうえに、他人とはちがう結論を導き出し、納得する人もいる。

『問題』という言葉を付け加える人は、まだ自分の結論に到達していない人なのだと思う。

結論が出ていれば、その人の言葉の最後は全くちがうはずだ。

A「今月は売上が少ない。利益も減っている。でもこれは一過性の事で何とかなるさ」

B「子供が学校にいかなくなってしまって、家にこもってばかりいるんだ。でも、彼を信用しているからね、好きにさせるさ」

C「最近、うちの子供はゲームばかりしている。そのうち飽きるとおもっているんだけどね」

つまり、自分の感情を消化できず、結論をまだ出し切れていないがためについ出てきてしまう言葉が『問題』という単語なのだと思う。

『悩みを悩みと認識しなければ悩みではない』

話はもとに戻る。

A,B,Cの例をあげたのだが、実はこれは同じ人が発した言葉。

そしてそれは、他ならない自分。

あるとき、自分が発する言葉の中にあまりにも『問題』という言葉が頻繁に出てくることに気が付いたのだった。

会社の売上が一時的に下がった、子供が学校に行かない、ゲームばかりしている… どれもそれなりに理由があるはずだし、起こった事象は受け止めないいけないことは分かっていた。

だけど… 自分がまだそれを消化しきれていなかったのだ。

問題は解決しなければならず、解決されるまで不愉快だ。だから、早く解決して、問題をなくしたい。

そこには否応なく時間の観念が入り込んでしまう。

『はやく、何とかしなければ…』

それはストレス以外の何物でもない。

さらには、それをわざわざ口に出してしまう事は、自分が未消化のものをそのまま相手の眼前で口から吐き出しているようなものだ。

相手が不愉快に思って間違いない。

何かが起き、マイナスの感覚を感じ、ネガティブな感情が生じたとき。

『これは… 問題だな』

そう言いかける瞬間、ちょっと立ち止まって意識しよう。

それは単に、自分の中に『問い』が芽生えただけで、何も結論は出ていないのだ。

自分の心の中に湧き上がった負の何かは、自分の無意識の中で育てられた語感からくるだけなのかもしれない。

自分が作り出した語感が、自らにかけた錯覚の魔法を解き放って、今一度冷静になろうと思う。

これは『悩み』ではなく、出来事が起こっているだけなのだ。

『悩み』を『悩み』と認識しなければ悩みではない。 芽生えた問いかけは、じっくりと顔をあわせて向き合って長い時間をかけて語り合おうじゃないか。

いちどからだにしみ込んだ、悪しき言葉の語感と時間からのプレッシャーを洗い流す。

ようやく『問題』という言葉は問題なく僕から流れて行ったようだ。