『あ、もう劇場で始まってる…』
「ん? マーベルの新作映画ね。『キャプテン・マーベル』だっけ」
『俺、ヤジと行きたいー』
「いいけど、友達と行けば?」
『俺はマーベル映画とスター・ウォーズシリーズだけはヤジと行きたいのー(笑)』
…ということで昨日は18歳の一人息子と一緒に封切られたばかりの映画『キャプテン・マーベル』を観てきました。
簡単に書いているけど、当日は朝から実は大変だったのです。
「おーい、起きろっ。映画始まっちゃうぞ!」
『うーん』
「間に合わないぞ (汗)。ホラがんばって目開けて」
夜更かししたわけでもない。
昨日は早めに寝床に入ったハズ。
(ありゃ、これは映画諦めるしかないかな…)
「起立性障害」の彼には朝、普通に起きることがなかなか大変な事なのです。
「板ばさみ」で、ぺちゃんこ
今でこそ「起立性障害」は認知されていますが、ひと昔前であれば単に「やる気がないヤツだな」「起きれないなんて気合がたりないんだ」とガツンと言われる事が当たり前だったと思います。
そういう僕もその一人だったかもしれない。
父親だから、毎日顔を合わせる。同じ家の中にいるからこそ、気になる。
更に輪をかけてイライラさせるのは僕の母親の存在。
二世帯で住む我が家、母親も自分の孫が気になる。
まして僕の母親は学校の教師だったので、ただでさえ「受験どうするの」「塾は行かなくていいのかね」とうるさい。
フツーの高校からフツーの進学校に行き、フツーにいい大学に行く、「定番旅行ツアーコース」しか頭にないのです。
「ほかっておいて、いいの? 病気でしょ? お医者さんに言ってなんとか治らないの?」
甲高い声でしかも早口なのですよ。
マシンガンのような言葉の銃弾が次々と連写され、僕の身体に浴びせられる。
ズドドドドドドドド…!
(分かってるって。でも無理に朝起こしても、ダメなんだよ。頭痛がするって言ってるじゃないか! 気合とかサボりじゃないんだって! )
ネガティヴ思考が燃料として補給されるエンジンから高回転発射される言葉のマシンガンの威力は凄く、母親の銃弾の雨から逃げるため、起きてこない息子にイライラして「起きろっ! 何してんのっ!学校行かないとっ!!」とあたってしまう事もありました。
そんな自分もイヤでした。
妻はその点違っていました。
『この病気は必ず治るもので、自律神経の発育がアンバランスだけなのですよ』
という医者の言葉を聞き、焦らず急がず、治せばいい、と腹をすえて何も言いませんでした。
(わかる、分かってますよ、僕も。でも、母親がうるさく言ってくるんだよぉ)
… どうなったか。「母親」と「妻・息子」の板挟み。
母親のイライラを転嫁して時々息子に吐き出す。そのあと自分がイヤになる、の繰り返し。
一番朝起きたいと思っているのは息子本人なのにね。
定期テストの勉強で少し朝晩の生活リズムがちょっと崩れた高校2年の終わり頃。
起きられなくなる朝が増え、3年の夏休みに入る頃から学校にはほとんど行かなくなった。
いや、行けなくなったんですよね。
彼は学校が嫌いでもなく、行きたくない訳でもない。
「そんな事で、社会に出たらどうするのっ?」
(お、俺に言うなよなぁ…)
いつのまにか、家にいて母親のマシンガン攻撃を受けるのがいやになり、週末は好きな山登りや美術展を見に、ほとんど留守にするようになりました。
心は正直でした… 昨年夏に僕は結局、心臓発作で倒れてしまいました。
お互い、廻り道だね。ゆっくりしようか。
一命を取り止めはしましたが数ヶ月の病院生活。その後、家に戻って来るまでの間も、息子が朝起きられない症状は変わりませんでした。
静養のため家の中にいるようになり、必然的に息子といる時間が増えました。
父親が死んでいなくなるかもしれない事実も息子は強く受け止めてしっかりと考えていました。その上で泣きませんでした。
『ヤジは死ぬなんて、オレぜーんぜん思ってなかったよー』
『心臓は手術して成功したんだから、アイアンマンといっしょだね。ビブラニウム製で以前の2倍に強くなってたりして (笑)』
彼の大好きなマーベルの映画『アベンジャーズ』のヒーロー、最強の金属・ビブラニウムの心臓をもつアイアンマンになぞらえてからかわれてしまった。
この超前向きのある意味〝ノー天気ポジティブなんくるないさ〃 姿勢は思わぬ大病に直面して凹んでいた僕にはまるで天使のプレゼントのように思えました。
そして、自分の進路についてもちゃんと自分の考えがあるという。
学校に行けなくなっても、選択肢はひとつじゃあない。彼は通信制の高校へ転入して残りの単位をとり、そして大学にも行きたいのだと言いました。
すごいじゃん!
ちゃんと自分で決めているよ、コイツ。
朝起きられなくても、学校に行けなくなっても… 凹んでない!
友人も、学校の先生たちも、誰一人として彼を『ダメ』とは言っていません。
僕の母親だけが唯一違っていたのは『自分の心配を直接相手にぶつけてた』事でした。
それじゃ余計に相手を心配させる。
「これじゃ、僕はダメなんだ。直さなきゃいけないんだ。だって怒られているんだから」
そうじゃない。
心配しているからこそ逆に『大丈夫だよ』という言葉が励ましになる、安らぎになる。
(そういうことだったんだ…)
息子の方がそれを分かってくれていて、病で倒れた僕にあんなに無邪気に接してくれたんだという事が今になって理解出来ます。
「マーベル映画はヤジと見たいんだよねー」
『オレが最強の心臓を持つアイアンマンだからかな?』
「ニヤリ。ま、かっこよさが違うけどねー」
…なるほど。だから今日の映画も僕と行きたいんだな。
ま、理由は何でもいいか。
春には本格的に仕事に戻る僕、4月から通信制の授業がスタートする息子。
今はたまたま、2人とも人生の廻り道を歩いている。
幸いにも息子も僕も今は十分時間がとれる。
重い荷物を背負って、頂上目指してわざわざ難ルートを、汗かき汗かき直登してきたのが今までの自分だったと思えます。
息子と一緒にゆっくり廻り道を歩くのも… 悪くない。
(3歳ぐらいの時の息子ちん)