鈍感力は『解雇された暗黒兵士(30代)のスローなセカンドライフ』を読めば身につくのか?

飲んで、読んで、寝る…コロナでふえた『おうち時間』にふらり読んでみたコミック

いや、よく行く「BOOK OFF」で表紙につられて手を取っただけなんですけどね、このコミック。意味深なタイトルに魅かれたのか、はたまた表紙の女の子のイラストが可愛いかったからなのか(おじさん)、ともかく手にとってしまったのだから… (コミックなんて買ったの何年ぶりだろうか)

それにしても「解雇」されたのに「スローなセカンドライフ」なんて、このコロナで騒がしく先行き不透明は時世には、なかなかにキャッチーないいタイトルじゃあないか。

解雇されたことにショックを受けて開き直ってセカンドライフをスローに送るなんて、現実の世の中ではなかなか出来ないだろうに、コミックの世界ではいとも簡単に出来てしまうのだろうな… なんて思ってよんでみると実際のストーリー展開はずいぶんと予想と違っていた。

魔王軍の暗黒兵士なのに魔法が使えない、といきない解雇された主人公は人間族の村という逆境でスローライフをおくるどころか、隠れた才能を開花させて、むしろ周りの人を惹きつけていき、冒険を続ける。

『何があっても深刻にうけとめすぎない。なるようにしかならない』、主人公の素晴らしさはその一貫した『鈍感力』。解雇されようが、考えすぎない。戦いを挑まれても相手をたたきのめすまでに至らず、敵であっても手を差し伸べるなど、決して相手を完膚なきまでに打ちのめすことはない。それでも次々に出てくる問題をクリアしていき、村の娘に恋されるまでに。

そう、タイトルにあるスローライフどころか、彼のセカンドライフはまったくもって大忙しじゃあないか!

『鈍感』であることが

自分がスタンダード

時々どうしても受け入れがたい言葉を口にする、近しい友人がいる。そして、その言葉を聞くと、どうにも自分には我慢できないほどになってきている。

特に車で移動している時が顕著だ。とにかく口が悪い、というか出てくる言葉がひどい。

例えば;

「ああいうバカがいるんだよな。ホント、頭悪い」

「なんで気が付かなんだ。技術ないなら車運転するな、アホが」

という調子だ。車を運転していれば、そりゃヒヤっとしたり怒れる瞬間もあるだろう。怒るな、という事を言いたいのではなく、出てくる言葉そのものと言い方が自分には受け入れがたいのだ。

気になるのは「バカ」「アホ」という言葉がいとも簡単に出てくるところで、聞くととても気持ちが萎える。

いや、ハンドルを握って運転しているのはほとんどの場合は自分であって、友人は席に座っていて車中から見たことに対して反応しているだけ。もちろん運転している自分も無理な割り込みをされたり、急ブレーキをかけないといけなくなるなど、イラっとする瞬間もあるのだけれども、さすがに相手を「バカ」や「アホ」と切り捨てる言葉を連発することはない。

そこに感じるのは何ともしがたい「あいつらはバカやアホ」というどこか上から目線というか、とにかく自分と相手の間に線を引いて、線の向こう側の相手を切り捨ててしまう感覚だ。

養護するわけではないが、「仕方ないよ、都会じゃないんだから、これぐらいのスピードでいつも走っているから我慢しようぜ」と言っても

「後ろ見てないから気が付かないんだよ、バカが」

と続けられて絶句したこともある。彼にとっては交通ルールを守って法定速度で運転している田舎の年配者の運転も、自分スタンダードから見たら「バカやアホのやること」なのだろうか。

もちろん相手に伝わることはない独り言の範疇なのだから実害はないのだろうが、隣で聞かされている自分には時々耐え難いと思う時がある。それが長い移動の間に何度も聞かされると正直、「もう車から降りてくれよ」とさえ思う。嫌悪感が高じて無口にさえなる。悪いヤツではないのだけれど、この(俺はバカやアホはあいつらとは違う)という言外にある曖昧だがどうしても感じてしまう鼻持ちならない「スタンダードは自分」という選民的思想が友人の中に根付いていると思えてしまい、とても悲しくなってしまう。

次に会う話をしても、会うことで共有できる楽しさと、楽しくないこのイヤに思う瞬間とを天秤にかけると、どんどんと会いたくなってきてしまい、距離を置きたくなってしまうのだ。ほんの数秒の間に発した言葉がそれまでの楽しい数時間を一気に帳消しにするこの負のパワー。

(こう思ってしまう自分が良くないのだろうか?)

相手に「怒る」のと、相手を「否定」することは違う

ある時、彼をたしなめたことがある。その時も車に乗っていて、文句を言っていた状況だった。

「まあ、急がないし、相手も悪気はないんだから」

これに対して、その友人から返ってきた言葉は

「あなたみたいに『鈍感』になってあれこれ許容するのは出来ないんだ」

という自分にとってはショックな言葉だった。

(ああ、俺もこいつにとっては『鈍感』なヤツで『敏感』な自分とは違うんだな)

多分、友人にとってはそう思っていることは大したことではないのであろう。

ただ、そこには相手を理解しよう、という姿勢がない。いや、百歩譲ってその姿勢があっても努力して歩み寄ろう、という気持ちはなさそうだ。

怒ってもいい、いいよ。でもそれと相手を『全否定』するのは訳が違う。悪気はないんだろう。本人には相手を否定する、とは思えてないのかもしれない。正しいのがどこまでも自分であれば、それが正義だ。それと異なるものには「正義の刃」が向けられる、それもさらに正義なのだろう。

自分が怒れてしまう相手は全て自分のスタンダードから外れたヤツだ、と否定し、弁解の余地なし、聞く耳持たず! ってか?

この時が初めてだった。友人から背をむけて遠ざかろうとさえ思ったのは。

『鈍感力』は『敏感力』?

この時つくづく思ったのだ。自分が『鈍感』で良かったと。鈍感だから怒りの矛先を納めることが出来る。怒りは怒った人そのものを蝕む、それは間違いない。

『何があっても深刻にうけとめすぎない。なるようにしかならない』

人は自分をハッピーにしてくれる人に会いたがる。会った時に笑顔になれるかどうか? 会ってワクワクするだろうか? 会ってもう一度会いたいと思う人、思わない人の違いはシンプルだ。

会っていやな思いをする相手には会いたくなくなるのは当然。自分の心は正直だ。会って心地よいか、そうでないか、それだけだ。

本題に戻って、『解雇された暗黒兵士(30代)のスローなセカンドライフ』の主人公が周りの人に好感を持たれるのは、相手が一緒にいて、『心地よい』と感じるからに他ならない。彼のもつ、その鈍感力をもって周りに寛容だからであろう。

気をつけなくてはならないのは、『なるようにしかならない』と言いながらも主人公は決して努力を行っているわけではない、またあきらめている事もなく常に前向きだ。

言えるのは、瞬間に相手を心の中で線引きして(自分とは違う人間だ、と)切り捨ててしまうのではなく、あくまでも同じ側にいるという事だ。

心地よく感じるかどうか、は相手に対しての気持ちを、線の向こうで感じるのか、はたまた同じ側で感じるかどうか、だったのだとここで気が付いた。

『鈍感力』は大事なのは分かった… でもどうやったら身につくのか?

このコミックを読んで、鈍感であるということは、相手の『側』に立って感じてみる、考えてみる寛容さである、と思うようになった。そしてそれは、決して「楽」という事ではなく、「したたかさ」や「たくましさ」などを包括している。だから、単純に『あいつはバカだ』と線引きして切り捨ててしまうよりもかえって面倒である。人間関係の面倒さをあえて引き受けて消化する、『度量の大きさ』が求められる。下手をすればよりストレスを感じて自分がへこんでしまうかもしれない。

だから、『鈍感力』をどの程度持つのかはなかなか難しいと思う。

先の友人との接し方も、自分がもっと寛容であれば『許しがたい』と思わないかもしれない…

この『鈍感力』、大事なのは分かるのだが、どのようにしたら身につくのか、またコントロール出来るのかはサッパリ分からない

幸い、まだ友人とも別に喧嘩別れしているわけでもない。怒った事すら忘れてその後も何度も会っている。

それこそ、元から自分は『鈍感』なだけなのかもしれない。