「そんないい山なら、連れて行ってください~」
甘ったるい声でお願いされたら、連れて行くしかないでしょ!
日本で一番花の種類が多い山、と報告されているのが、東京の高尾山(標高599m)。その数、1,600種類を数えるそうです。
世界中で山を楽しむ人の数は年間約700万人と言われていますが、高尾山への年間登山者は260万人。つまり世界の総登山者の4割弱は高尾山に行くというのですから、まさにダントツ『世界一』の登山者数の山です。
この高尾山。都心から近い上に、電車やケーブルカーなどがあり簡単に山の懐へ入る事が出来る上、近年はミシュランガイドで紹介された影響でさらに多くの登山者を迎えるようになったらしい。
(高尾山で6月に咲く珍しい花、セッコク)
外国人にも人気の日本の最高峰・富士山でさえ、最近の平均では年間25万人の登山者数ですから、高尾山への登山客がいかに多いのかが分かります。
花好きの山ガール。
近くて気軽に日帰りの出来る高尾山が好き。
だけれど、もう少し静かに山の花を楽しみたい。そんな彼女が名古屋の近くでも花が豊富で気軽に行ける「花の名山」はドコ?と聞いてきた。
『高尾山に負けず劣らず花の種類が多いのは、やっぱり伊吹山だよね』
滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山(1,336m)のことです。こちらもカウントされた植物種は優に1,000を超える花の名山。
東の「高尾山」と西の「伊吹山」。どちらも花の名山ですが、山の雰囲気も大きく違えば、咲く花も異なってきます。
高尾山に植物が豊富な理由は温帯と暖帯の境目の森林帯があるという事につきます。つまり豊かな樹林が育っているのです。
一方、伊吹山はというと、本州で一番陸地が狭くなった関ヶ原や琵琶湖のすぐ近くに単独でポツンとそびえたっている独立峰。
このため、日本海側と太平洋側の気候が入り乱れ、異なる気候帯の植物たちが混在。山頂は風衝帯のため草木が育たず、亜高山的雰囲気です。そのイメージは「草原の山」。高尾山とはずいぶん違います。
以前より少なくなったとはいえ、冬季に積雪もあり、風の強さは有名。
何よりもギネスに記載されている「世界一の豪雪を記録した場所」が、実はこの伊吹山山頂。
その記録、なんと一晩で11メートル!
花咲き乱れる上野口からのルート
伊吹山の年間登山者は、約3万人。人気の山といっても、高尾山や富士山に比べれば、まだまだ静か。じっくりと花を観察出来る。
山大好き、花大好きの山ガールの気持ちが動く事は間違いない。
「そんないい山なら、連れて行ってください~」
(そら、来た~)
「どこから登るんですかぁ?」
『そうだね、一番ポピュラーな上野口からがいいだろうね。急登が続くけれども山の花を楽しむには一番だからね』
「ハァ… 大変そうですね。どれぐらいかかるんですか?」
『ゆっくり登って山頂の台地まで3時間半ぐらいかなぁ。途中でたくさんの花を観察していくから、これぐらい時間をとりたいね』
「標高差どれぐらいあるんですか?」
『麓の上野口にある三之宮神社の標高が210m、山頂が1,377mだから、その差は1,167mだね。』
「せ、せんメートル?1,000mもあるのですかっ(汗)? だ、大丈夫かなァ…」
『大丈夫。花がたくさんあって、見飽きないし。それに常に展望が開けているから、気分爽快だよ。高尾山と大きく違うところだね。前は3合目のスキー場までリフトが運行されていたのだけど、今は足で登らないと』
体力に自信がない場合も大丈夫。山頂まで伊吹山スカイラインが通っているために山頂散策だけならば、いとも簡単に楽しめます。
しかし、相手はれっきとした山ガール。やはり山を登る楽しみも欲しい。
汗をかいて登って、山の上でランチして、花も存分に満喫して、満足させたいじゃ、ないですか。
(高尾山もいいけれど、こっちの伊吹山もホント、いい山なんだよ)
地元の山だから、ひいきの引き倒しではあるけれど、内心では花の山の横綱はダントツ伊吹山だ、と思っているケニーでした。
お天気に恵まれた、梅雨入り前のある日、山の恰好をした彼女と待ち合わせた。
日帰りのハイキング装備。上野道は樹林帯がほとんどないので、帽子など日焼け対策は必携です。ランチは山頂で。ガッツリ食べたければ、山頂に営業小屋もあります。
ルートを外す事はまずないほどハッキリとしたコースですが、水場がないので、飲料水は大目に持っていきましょう。初夏のこの時期は特に暑さになれていないので、ペットボトルで2リッター程度は欲しいところです。
山麓にはいたるところに日帰りの民間駐車場があります。どこも同じような金額(500円程度)ですが、狭い街並みの中なので少々注意が必要です。公共交通機関もあわせて詳しくは一番最後に交通の案内を書いてありますので、ご参考に。
さて、麓から初めて伊吹山の姿を見た彼女の一声は…
「うわぁ、高いっ!」
「でも、山頂部は木がなさそうで、なんだかアルプス見たいですね。」
『ね、かっこいいでしょ?』
花咲き乱れる3合目、オカメヶ原を目指して。
さて、山麓の登山口からいよいよ出発です。ここで入山協力金300円を払いましょう。
のっけから登山口脇に目立つ花を見つけました。
グリム童話かなにかに出てきそうな7人の白髭のおじいさんたち…ではなくてこれはユキノシタの花。
「ロード・オブ・ザ・リングに出てくる魔法使いのガンダルフですねー」
『ん…? 僕にはスター・ウォーズのジェダイ騎士、オビ・ワンの若いころに見えるなぁ(笑)』
趣味が合うと楽しい。
登山口から30分程度は樹林の下の急坂ですが、すぐにスキー場跡の涼やかな草原に出ます。ここから3合目の台地状になった草原、オカメヶ原をまず目指します。
『この青い花はクサフジだね』
「マメマメしてますねぇ、この花」
「あ、アザミ!」
『これ、どこにでもあるノアザミじゃないんだよ。ミヤマコアザミと言って伊吹山の固有種なんだよ。他のアザミに比べてトゲや毛が多いのが特徴だよ。背も低くて小振りなアザミなんだ』
基本、草原なのですが、ごくたまに樹林を突っ切るときもあります。
「あ、これはガマズミですね?」
『正解。6月のこの時期はよく見かける花、ガマズミだよね。』
「家の近くの里山にもあります」
『ガマズミの花言葉って知っている?』
「…さぁ。」
『4つあってね。①結合 ②恋の焦り ③愛は強し ④私を無視しないで なんだって。分かる??』
「ン?何が言いたいんですか?」
『い、いや、なんでもないです。さぁ、先に進もうか…』
「なんだかおいしそうですよ、この花。ホオズキみたいだし」
『見た目美味しそうだね。これはナワシロイチゴ。』
「食べられるんですか?」
『もちろん。ジャムにして食べると本当においしいんだよ。』
「イチゴなんですね。これでも。」
「この花たち、よく似てますけど、花びらの数が違ってません?」
『よく気が付いたねぇ。花びらが5枚のものがニガナ。いわば本家だよ。花ビラが7-9枚あるのはハナニガナといって”ハナ”がアタマに付いて、分家の変種さ』
「ニガナって、苦菜って書くのですよね? 食べると苦いんですって」
(へぇ、意外と料理好きなのかな?)
「さっき見たガマズミ…じゃ、ないですね。オオカメノキですかね?でもなんだか感じがちょっと違います」
『はいはい、その通りです。よく見るオオカメノキに似てるよね。でもこの樹は葉が3つに裂けてるでしょ? オオカメノキの葉はまんまるだしね』
「コカメノキ???」
(あはは…可愛いなぁ)『これはね、カンボクという名前の花。』
樹の花は似たようなものが多いうえ、この時期はどれも白い花を咲かせます。一見地味なのですが名前が分かると意外と楽しい。
ほどなくして、伊吹山山頂とご対面!ドーン!!
「うわ~、あそこまでのぼるんですねっ!」
『高尾山とは違うでしょ?』
「ぜんぜん、こっちの方がすごいですよっ!なんだかアルプスの麓みたいですし」
驚きながらも彼女の顔は笑っている。しめしめ、高尾山にはこれで差をつけたこと間違いなしだ。
数えきれないほどの花たち
『ここが、オカメヶ原。もう少しすると、ユウスゲが咲いて素敵な季節なんだけどね』
ユウスゲの季節は6月の中旬から7月の初旬の短い間。伊吹山では3合目のホテル前で「ユウスゲ祭り」が開催され、ゲストを呼んで音楽祭などイベントが開かれます。
『いまはノアザミの季節だけどね』
『あ、見つけた!』
「なんですか?このスリッパみたいな花?」
『スリッパって、おもしろい表現だなぁ。でも確かにスリッパ掛けだね、一見すると。これはキバナノレンリソウ。日本ではこの伊吹山にしか咲かないんだよ』
「えっ、何でですか?」
『この花は昔ある人が日本に持ち込ませた薬草にくっついてきたのさ。そしてこの伊吹山に自生するようになったの。さあ、誰がこの花を持ち込んだのか、分かる?』
「んー、昔は山登りなんて趣味じゃなかったから… 修験者とか?」
『織田信長だよ』
「え、あの戦国大名の信長ですか?」
『そう。伊吹山に植物が多いのは知られていてね。薬草栽培に適していると信長は考えたんだろうね。ここに薬草苑をつくって色々と研究させたそうだよ。だからこの花は戦国時代より前の人は知らないはず』
「キャーっ、この宇宙人みたいなのは何?」
(宇宙人って…確かにウルトラセブンに出てきたキュラソ星人の細長い顔に似ているけど)
『ああ、これはタツナミソウね。名前の通り、立った波が続いているように見えるでしょ。ふぉふぉふぉ、ワ・レ・ワ・レ・ハ… ウチュウ・カラ・ヤッテキタ…』
しまいにはエイリアンの頭みたい、とか言い出した彼女。紫の花にある白い斑点もお気に召さなかったようだ。
「こちらの黄色い花の方が断然好きっ」
『でも、名前はオヘビイチゴって言うんだよ、この花』
「(汗)え””… じゃ、赤い実がなるんです?」
『名前はイチゴだけど、さっき見たナワシロイチゴと違ってこちらはキジムシロのお仲間だから、いくら待っても赤い実はならないからね』
「あ、これは知ってる! カキツバタでしょ!」
『いずれがアヤメ、カキツバタってね。よく間違うよね。アヤメ、ショウブ、カキツバタは…。これは何でしょう』
「えー、いじめないで教えてくださいよ」
『答えはアヤメ。花の根元に網模様があるでしょ。それと山地に咲いているのはだいたいアヤメかな。ショウブやカキツバタは湿った場所が好きだけど、アヤメは乾燥地に咲くから』
「でも、漢字で書くとどちらも…一緒ですよね。アヤメ(菖蒲)とショウブ(菖蒲)って」
『うーん、確かに紛らわしいね』
「あ、ケニーさん、見て見てっ! チョウチョが花に…」
『あ、ウスバシロチョウだっ。ラッキー。キバナハタザオの花にとまっているよ』
「なんだか、ホッペにチューってしてるみたいですね」
『ハタザオのほうは、首かしげて嫌がってない?』
「… ですかね」
『それよりもこっちの花は嫌がってなく、率先して楽しそうじゃない?』
「あ、知ってます。オドリコソウですね?」
『ピンポーン!大正解。オドリコソウでーす。今にも踊りだしそうで、言いえて妙な名前だよね。ハァ、ヨイヤサァ~、ヨイヤサァ~』
「でも変ですね。オドリコソウって真っ白な花じゃないですか?」
『この花の色は地域差があってね。伊吹山や奥美濃の山では淡い紅紫色が多いね。』
「あ、フウロです」
『… うーん、何フウロだろうか?それが問題だなぁ』
「ハクサンフウロじゃないですか?」
『いや、花びらが重なっているから、イブキフウロじゃないかな… それともエゾフウロ?
いやあ、近寄って確認したいけれど、ここからだとはっきりわからないね。でも道を外すわけにいかないし』
「じゃあ、写真だけ撮っておきましょう」
「な、何ですかっ!この大きな白いザブトンみたいな花はっ(汗)」
『びっくりした? 大きいからねえ、ヤマボウシの花は』
「こちらに咲いているエゴノキぐらいの大きさなら驚きませんけど、こんなに大きいとは…」
『ヤマボウシの花のように見えるのは花びらじゃなくて、総苞片(花の付け根の葉のこと)だから比較的長い期間見ることができて貴重だよ』
「これは平地にも生えている、雑草じゃないんですか?」
『確かに…。ジシバリは平地でもいっぱい咲いてるよね。でも山でたまに見かけると意外に可愛いと思うよ』
「私はダントツにこっちの白い可愛い花の方がいいと思いますよ」
『おっ、すごい!この花は珍しい花なんだよ。よく見つけたよっ』
「そうなんですか?」
『コバノミミナグサは伊吹山と、山口県の秋芳洞でしか見る事が出来ないんだよっ。俺たち、ラッキーだよ!』
いよいよ山頂への急坂に
『さあ、気を引き締めて行こう。ここから山頂まではちょっと急だからね』
「ハァ~い。でも、相変わらず花はすごく綺麗ですよ。しかも、密度、すごくないですか、この花?」
『真打ち登場ってとこだね。伊吹の名前を冠した花はたくさんあるけれど、このイブキシモツケはこれから山頂までずっとイヤになるほど咲いているからね』
「うわぁ、これはスゴいですね~。高尾山ではないスケールの展望と花の群落ですよっ」
『ほら、足元も、もっと良く見てごらん。これはクサタチバナ。可愛いでしょ~』
『こちらはヒメウツギ。どこの山に行ってもこの季節にはよく見かけるでしょ、この花は』
「白い花が多いですね~」
『何故だろうね。春のスプリング・エフェメラル(初春に咲く花たち:セツブンソウやフクジュソウ、アズマイチゲなど)の後に咲く初夏の花にはなぜか白い花が多いよね。タニウツギなど赤い樹の花もあるにはあるけど、この登山道で見る花は確かに白いものが多いよね』
「でも、このあたりまっ黄色なんですけど…」
『でたでた。イブキシモツケもすごいけど、このイブキガラシの群落も引けをとらないんだよ。これも伊吹山の特産種で…』
「見てくださいっ! すごーい。もうこんなに高くまで登ったんですね。ほらほら、ケニーさん、足元にさっきいたオカメヶ原がもうあんなに下ですよっ」
『登ってきたねぇ。さあ、山頂まではあと一息だ。がんばろうっ!』
山頂も花の宝庫
「あ、登りが終わりそうですよっ、ケニーさん…あれ、大丈夫ですか?」
『(ゼイゼイ)だ、大丈夫です…』
(息巻いて得意げに花の説明ばかりしていたら、い、息が上がってしまった…)
『いやぁ、久しぶりに登ったけど、やっぱりこの最後の急登はこたえるなぁ…』
「がんばってくださいー、ケニーさーん」
「お疲れ様です。山頂台地ですよ。もう登らなくていいんですって」
『(ハアハア)そ、そうだね。やっと到着だ』
「あ、これはヤマエンゴサクですね。5月ごろの花だから、もう終わったかと思ったけど、まだ頑張って咲いているんですね」
「でも山頂の主役はどうやらコキンバイですかね」
「同じ黄色のウマノアシガタも咲いてて、紛らわしいですね、これは」
(フゥ~、やっと息が整ってきた。このままだと彼女に山の花もお株を奪われそうだな。何とか挽回したいなぁ)
『!』
(こ、これはっ!)
『あっ、見つけた、見つけたよ!ほら、見て見て、この花…』
「うわあ、可愛いっ! 小さいけど初めて見ます」
『この花はヒメフウロといって、伊吹山と、お隣の鈴鹿山地の霊仙山、あとは四国の剣山などにしか咲かない貴重な花で、なかなか会えない花だよ』
「じゃ、私たち、ラッキー?」
『かなりラッキー。さっき見たコバノミミナグサも日本で咲いている場所は限られているけど、この花はそれに加えて数自体が少ないからね』
「こんな珍しい花が見る事ができてうれしいですっ!」
(よしよし、そうかそうか。おおきく株をあげたかな)
『さぁ、山頂だよ』
到着した山頂には、ヤマトタケルノミコトの像があります。
伝説ではヤマトタケルノミコトはこの伊吹山の荒ぶる神と戦いましたが、カミナリをおとされて瀕死の傷を負いました。
山麓の醒ヶ井(さめがい)の水で傷をいやした後に故郷の大和国をめざしたものの、鈴鹿山系の中で命尽きたと伝わります。
パン、パン、パン…
『ん?何をお祈りしたの?』
「今度は彼氏とこの素敵な山に来たいなぁって、お祈りしましたぁ」
ガビビーン!どうやら、俺にもカミナリが落ちたようだ。
(この話は一部(かなり)フィクションです。実際の人物や団体などとは関係ありません…たぶん)
写真は全て実際の登山中にケニーが撮影したものです。
★伊吹山登山 (国土地理院2万5000分の1地図:「伊吹山」「美束」)
コースタイム:往復5時間50分
【上野登山口】
(マイカー) 名神高速道路 関ヶ原ICより登山口まで約30分
(公共交通機関)JR近江長岡駅もしくは長浜駅より湖国バス