カラヴァッジョ展で知る、「他人の気を引く」術

『カラヴァッジョ!』

名前を聞くだけで、強烈な好奇心を掻き立てさせる少ない西洋の画家の一人。

彼の絵を一つでも見た事がある人ならば、その意味を良く理解出来るはず。

名古屋だけで公開される「ゴリアテの首を持つダヴィテ」、この絵見たさに早々と開催2日目の日曜日に名古屋市立美術館へ出かけました。

『気になる人』

その人をもっと知りたい、と思うのは言動や行動、表現を通じて湧き起こった純粋な気持ち。

そう自分に思わせる人がどんな人物なのだろう、と考えると2つのタイプに分けられる気がします。

一つは「自分を気持ちよくさせてくれる人」。

趣味が共通、嗜好が似ている人といると楽しいのは当然です。

もう一つは、「気になる人」。

まだ、自分にとっては見えない『謎』の部分がある人。言動や仕草から見える部分を光とすれば、想像するしかない、見えない『陰』の部分…

面白い事に、見える『光』の部分から見えない『陰』の部分を見てみたい衝動にかられる人がいる。

そして私にとってカラヴァッジョはまさにそんな「気になる人」の存在でした。

前述したように、カラヴァッジョは美術に興味ある人には知る人のいない名前です。

「光と影」の魔術師の名声、その才能とは裏腹に激しい気象のため、殺人を犯し逃亡の身となる劇的な人生…

幾度となく聞き、見た名前、カラヴァッジョ。

ところが意外にもカラヴァッジョの作品を生で見た経験がない事に気がつきました。

ボッティチェリやミケランジェロ、ラファエロらルネサンス画家、フェルメールやレンブラント、ルーベンスら北欧ルネサンスからネーデルラント絵画、そしてブーシェやダビッドらロココの巨人たちからゴッホ、ルノアール、ピカソらまであらかたの所謂『有名な』西洋画家の作品には国内外で最低一度は生で鑑賞してきました。

カラヴァッジョの現存する作品はわずか60点程で、教会の祭壇画など持ち出せない作品も多い理由もあるでしょう。

2016年に東京都美術館で行われたカラヴァッジョ展の時には残念ながら足を怪我して行けなかった事情もある。

とにもかくにも、残念な事にカラヴァッジョの作品にはついぞ会えなかったのです。

なのに、「いつかどこかで会った気」になっていたのは彼の影響を受けたいわゆる「カラヴァッジェスキ」たちの描いた作品を何度も見て、カラヴァッジョの名前が頭に刷り込まれていたからでしょうか。

人の気を引くための要素が満載されたカラヴァッジョの絵

例えばこの絵。

『罰せられたキューピッド』 バルトロメオ・マンフレディ 1605-10年 (シカゴ美術館 2015.3.1 @kenny)

バルトロメオ・マンフレディはカラヴァッジェスキの筆頭のような存在で、光と影を劇的に使ったカラヴァッジョの明暗法と写実性がヨーロッパ各地の画家に多大な影響を与えた好例。

絵を見ていると聴こえてくる…

『お前のせいで大恥かいちまったぜ、オイ、このヤロ。痛めつけてやるぜ、ガキがぁ!』

「お願いだから、もうやめてっ、この子は悪くないのよっ!」

思わず汚い言葉を頭に浮かべてしまいました。

描かれたシーンの知識がなくとも、絵を見るだけで何が起きているのか断片的には分かる。

怒りにくるっている男は軍神マルス。打たれているのはキューピッド。側の女性はその母親であるヴィーナス。

マルスはヴィーナスと不義の仲となった軍神。そのマルスがヴィーナスの息子を打つ異常なシーン。

ギリシャ神話を知らずとも、この絵を見るとその描かれた背景や世界を知りたくなる衝動に駆られてしまう。

リアルで、衝撃的。ちょいとやりすぎ感まであるほどドラマティック。

オペラのクライマックスを見ているようで、派手な「ジャジャジャーン」という演奏までどこからか聴こえて来るようだ。

「どうしてマルスはこんなにも怒っているんだ?」

「この後、3人はどうなるんだろうか」

そんな当然の如く沸き起こる作品主題の背景にあるマルスやヴィーナス達への興味から、ギリシャ神話に惹かれて本を探す人もあるでしょう。

そしてもちろん、このような絵を描いたのは誰なのかという好奇心が否応無く湧いてきて、カラヴァッジョについて知りたくなる。

人の気を引いて、興味を持たざるを得ないようにしてしまう彼の作品から考えさせられるのは、「他人の気を引く」術です。

人の気を引く

誰でも人の気を引きたい、と思う事があるもの。

狙ってその人の気を引こうとするような時にはカラヴァッジョは参考になります。

自分だけの世界、こだわりを持つ世界、誰が何と言おうとも気にせずにひたすらこだわる世界を持つ。

それは「美学」のレベルにまで昇華させ、他人に意識して見せる事はことさらしないため、時にはミステリアスに思われるかもしれない。

それでいて、他人に見せる自分は必要なまでにドラマティックさを強調する。

つまり、見せるところはインパクト大で『押す」、そしてあとは寡黙で謎めいた存在となりきる…

なんだか、恋愛指南のようではありますが、恋の駆け引きだけにではなく、色々使えそうです。

カラヴァッジョに関しては、作品そのものや、街中を剣を腰に差して闊歩するマフィア的一面など外面のインパクトは申し分ありません。

だからこそ、彼の内面に対しても大きな興味が湧くのでしょう。

翻って、我々がカラヴァッジョを参考に試みるとどうでしょうか。

まず、見せる部分はことさらダイナミックに、相手にインパクトを与えなくては効果がない点。見せる時にいかに相手に自分への興味を抱かせるか、が勝負。でなければ、寡黙になった後、相手は急速にあなたへの興味を無くすリスクが残り返って逆効果です。

カラヴァッジョは、今で言うと「ちょい悪」のオヤジでした。いや、人を殺してしまったのですからそんなレベルではありません。街の愚連隊のような存在であったのですから。

人は自分にないものを他人に求める、といいます。人を最も惹きつけるのには、「共感」よりも「反感」…

『気になる』人になるためにどちらを選ぶか? 美術館に行きカラヴァッジョに問うてみるのもよいかも知れません。

★『カラヴァッジョ展』

公式サイトリンク ▶️ http://www.art-museum.city.nagoya.jp/caravaggio