『ケニーさん、お腹が減りましたぁ。ぺこぺこです。』
お正月の名古屋・大須。
大須観音で行列に並んで初詣を済ませ、ぶらぶらと商店街を歩き出してすぐの事。
『せっかく名古屋に来たんだから、味噌煮込みうどんが食べたいです』
「味噌煮込みうどん? 実は発祥の地はここ、大須なんだよね」
名古屋のソウルフードの代表格、味噌煮込みうどん。
名店や名の知られたお店はたくさんあれど、ここは大須。
「山本屋」や「まことや」といった真っ先に名前が上がる店もいいけど、この大須ならではの老舗に入ってみよう。
大須観音からわずかに徒歩5分。初詣に大須観音の方に並んでいる人がまだまだ多いのか、今日はまだ開店前の人の行列はそれほどでもありません。
『た、か、ら…? 』
「そう、たから。大須で味噌煮込みうどんなら、ココだよね」
店に入り、2人前をさっそくオーダー。
待つこと15分ほどでさっそく御膳で運ばれてきたのは、正統派味噌煮込みうどん。
「お待ちどうさま。味噌煮込みうどんは初めて? 熱いから気をつけてねっ。ハイっ! 2人前ね」
こうして目の前に地元名古屋民熱烈愛好嗜好品地産地消濃厚正統派料理がどーんと置かれたのでした。
正統派味噌煮込みうどん、登場。しかし…
『… 』
「…?」
(どうした? ここはうわー、美味しそう、とか反応するところだけど??)
『こ、これだけですかね?』
「そうだよっ。これこそ我ら名古屋の、名古屋人による、名古屋人のための、いや万民のための味噌煮込みうどんであるっ!さあ、いただこうぞ!」
どーん。
『あのう、鍋…ですよね』
…どう見ても「鍋」。
「これが名古屋の味噌煮込みうどんだて。どえりゃあうまいで、はよー、食べりゃ〜て。熱っついで、気いつけてなも」
『…ちょっと、何言ってるのか、わかりませんけど、ケニーさん』
ちと名古屋弁に洗脳するのは早すぎたか。
『店名が入った鍋フタが、とても挑発的(笑)』
やっと笑顔が。ホッ…
隙間からはグツグツと煮たつ赤だし味噌の液面がのぞいています。
まるで地球の裂け目から噴き出す火山の溶岩のように、絶え間なく湧いてが消える空気の泡。
恐らくスープを口に一口入れただけで、その熱さで飛び上がってそのまま大須踊りしてしまいそうなほどではなかろうか。
麺の入った黒い鍋のフチを指先でそっと触ってみます。
「うわわわわわ! ア、アチアチっ!!」
『ケ、ケニーさん、大丈夫ですか?』
やってはいけないと思いながら、ついつい知りたくて触ってしまった…
間違いなく、厨房で直接コンロに置かれて直火でくべられていた熱さです。
鍋は信楽(しがらき)焼。煮えるのも遅いけど、冷めるのも遅い。味噌煮込みにはこれしかない、うん。
熱く煮たぎったスープはこれ以上ない濃さで、赤だし味噌の自己主張度全開。茶色で見た目はお世話にも良くなく、「泥水みたい」なんて言われてもいる。
名古屋の味噌煮込みうどんの味噌は豆味噌が基本。しかも岡崎の「八丁味噌」でなければ。
普通のお味噌汁とは違い煮たたせるのが当たりまえ。初めて食す人が、いの一番に驚くのがその「熱さ」。
麺や具を入れて鍋で煮込みはしますが、テーブルに運ばれる直前までフタは鍋に置かれません。
恐る恐るつまんでみると、フタの取っ手は全く熱くありませんっ!
鍋の中のミラクルワールド
『お鍋の中、どんな感じなんですかねー』
(チラと隙間からのぞき見てくる)
「例えて言うとね…
味噌煮込みうどん… 鍋の中の世界にようこそ。これはまさに芸術。
そこに展開されるのは、スープと具が織りなす、そう、絵画のようなめくるめく世界。
たぎるスープの海に、白く長い身体を悶えるようにうねらせる麺たちは、毒ヘビに巻きつかれたギリシア神話のラオコーンと息子たちを彷彿とさせる。
褐色の荒野に点在するオアシスのごとく、絶妙に配置された薬味の緑。白ネギ、青ネギの微妙な色彩の違いはあたかもモネの「睡蓮」の如し。
そして、舞台中央に、なまめかしい様を惜しげもなくさらし、沸き立つ気泡にその妖艶な身体をくねらせているのは生玉子。ティツイアーノの「ウルビーノのヴィーナス」のごとき誘惑のフェロモンを放ち、もう「罪」としか言いようがない。
これらの演者たちが南部鉄の土鍋というコロッセオという大舞台で織りなす一大ページェントが、名古屋の「味噌煮込みうどん」なのだ、ジャーン!
さあ、アレ・キュイジーヌ!
… て感じ」
『… (汗)』
それでも恐る恐るフタを取って、彼女もようやく中を見ると、納得の笑顔が。
『はやく食べましょうよ! お腹減っているんだから、とにかくいただきまぁす』
といきなりお箸を鍋に突っ込む彼女。
「ち、ちょっと、待った待った、待ったあ!」
正しく味噌煮込みうどんを食べるにはフタを使うべし
「まずはフタを裏返して。そして具と麺を少しずつお箸でつまんでフタに乗せるんだよ」
このお店の鍋のフタには空気穴がありません。
つまり、このフタは取り皿の代わり。
(そうか、これだけ?って彼女が戸惑っていたのは取り皿が出てこなかったからなのね)
味噌煮込みうどんのフタのお仕事は、配膳前よりもむしろここから。
お箸よりも太く、また固いのが名古屋の味噌煮込みうどんの麺。
箸でつまんで「ツルツルっ」と口にすすって食べるのは困難です。
大きな鍋フタは小さな取り皿より使える面積があってうれしい。
「フタに一度に取る麺はせいぜい1、2本ね。これだけで口の中はいっぱい、お餅を食べているかと思うほどだから大丈夫。これぐらいだと取る時に味噌のスープも服に跳ねないし」
とはいえ、この太い麺は暴れん坊。お店に紙エプロンを頼みます。
1本ずつ麺をつまみ上げて口に運び、噛んで食します。
『おいしいっ。でもちょっと硬くて…芯が残ってます、これ生茹で?』
違うんだっ、違う!
コレが正真正銘の名古屋の味噌煮込みうどんなんだ…
そう、味噌煮込みうどんは鍋焼うどんと違い、生のうどんを直に煮込みます。
麺も、小麦粉と水だけで練ってある。塩は使いません。
だからこそ、ここまでコシのある麺で、味噌がしみ込むのですよ。
おまけに小麦粉が豆味噌に染み出して、スープにはトロみが出るという相互依存、共存共栄、麺と味噌スープはまさに “WIN-WIN” の関係なのです。
そして、半分ほど食したところで、卵を良く混ぜよう。甘みが増してまるで別の麺を食べているように感じるはず。
パンチを少々効かせたい時には、名古屋人はここで一味や七味をかけます。
最初からかけると熱すぎて味がしないので、卵が味噌にグラデーションを描き出すこの頃合いがベストです。
この頃には麺の中心にも味噌汁が十分に染み込んで、これまた絶妙の舌触り加減になっています。
くう〜っ、たまりません!
愛すべき名古屋弁で味噌煮込みうどんを締める
『美味しかったです。ごちそうさま。これで正しく名古屋の味噌煮込みうどんが食べられました!』
「よかった、よかった。喜んでくれて」
『ところでケニーさん、奥さんとかに家で味噌煮込みうどん作っていただいたりしないんですか? 』
「えーとね… ( “とか” って何その微妙な言い回し)」
『お正月ですよ。冬ですよ。こんなに身体が温まって美味しい料理なんですから、作って貰えばいいじゃないですか?」
(せ、せっかく初詣デートに来てるのに、なんでそんな事聞くんだ? ええい)
『あのね、しゃびんしゃびんのうどんの方が良いって、おかってでは、ちんちんの味噌煮込みなんかつくってくりゃーへんのだわ。ほんだで、こうして食べに来とるんだが。いかんかったかなあ…』
「????」
こうして今年のお正月は過ぎていったのでした。
(最後の名古屋弁は、一番最後をみてもらえれば意味が分かります)
★味噌煮込みうどん 「たから」
名古屋大須 で唯一の味噌煮込みうどん専門店。
大須観音から徒歩5分。
【ケニーの言い訳(標準語訳)】
しゃびんしゃびん(薄い)のうどんの方が良いって、おかってでは(台所では)、ちんちんの(あつあつの)味噌煮込みなんかつくってくりゃーへんのだわ(作ってくれないんだよ)。ほんだで、こうして食べに来とるんだが(だからこうやって食べにきてるんだよ)。いかんかったかなあ…(だめだったかな)