「死ぬ迄に必ず見たい人類の至宝の5つの絵画」の一つはベルギーにある祭壇画
のっけから刺激的なサブタイトルなのだけれども、自分が人生を終える前に見る事が出来たらどんなにか幸福であろう、という観点から選ばれた5つの西洋絵画。
きっかけはたまたま手に取った『知っておきたい世界の名画』(宮下規久朗著:角川ソフィア文庫)。
『人類の至宝』などと簡単に呼べるものはそうそうないと思う。人が生み出したものは政治・文化・経済・思想・宗教に加えて近年は情報など広い分野にわたり数えられないほど多いのだけれども、その中でも「西洋絵画」はかなりエモーショナルだ。
メッセージ性では人が作りだしたものの中でも音楽などと並んでかなり高いと思う。東洋における文字・書跡同様に文化や思想を反映しているのだけれども、もっとストレートに心や感性に訴えかけてくるものがある。
そんな『人類の至宝』の一つ、『ゲントの祭壇画』は「ベルギーの七大秘宝」の一つでもある。あのナルシスト画家、アルブレヒト・デューラーでさえ、当時聖バーフ大聖堂内のフェイト礼拝堂でこの祭壇画を見て「あまりにも美しい」と賞賛した。
世界初の油彩画のひとつと言われ、フランドル絵画の最高傑作とされている。
この祭壇画を見るために遠くベルギーを訪れたのはまだ肌寒さの残る2017年の春だった。
北方ルネサンスと街の大聖堂
宿泊先のブリュージュから車で小一時間、約50kmでゲントの街に着いたのは朝9時ごろ。前日夕刻にオランダのスキポール空港に到着、金曜の夜に開館しているゴッホ美術館を見学してから国境を越えてベルギーのブリュージュに着いたころは夜中12時をまわっていたので、少々寝不足だ。
それでもこの祭壇画を見る事にどうしてもワクワクしてしまう。
祭壇画があるのは市内の聖バーフ大聖堂 (Sint-Baafskathedraal) 。
12世紀に建造が開始され、完成したのは16世紀。数世紀をかけて建造されたため、ロマネスク様式とゴシック様式の特徴を併せ持っている珍しい建物だ。
聖バーフ大聖堂前の広場からは世界遺産でもある鐘楼が正面に見える。ゲントは16世紀に毛織物産業を発展させ黄金時代を迎えるが、鐘楼はそのゲント市の自治と独立の象徴。鐘楼の頂きにあるのは黄金の竜(竜は自治と独立を表す)。
ところがゲントの祭壇画は自治を求めフランスに援助を求めた市民が対立していた当時のブルゴーニュ公を支持した当時この聖堂の管財人であった毛織物職人ヨース・フェイトがファン・アイクに依頼したものだったというから皮肉なものだ。
聖堂の外壁にあるのは、ハプスブルク家の絶頂期に神聖ローマ皇帝となったカール5世の像。彼はここゲントで生まれ、この聖バーフ大聖堂で洗礼を受けている。
聖堂の前にあるファン・アイク兄弟の像。どちらが兄でどちらが弟なのか分からないけれど、彼らが祭壇画を描いたのは間違いない。
1477年当時フランドルはブルゴーニュ公国ネーデルラントの一部だった。
ゲントは毛織物産業では同じフランドルのブリュージュと競合するほどで、パリに次ぐ2番目に大きな都市だったというから驚きだ。
が、国王のシャルル突進公はフランスとのブルゴーニュ戦争におけるナンシーの戦いで戦死してしまう。娘のメアリーは父親の意向でフランスと敵対するオーストリアの神聖ローマ帝国ハプスブルク皇家のマクシミリアンと結婚することになる。
フランスと戦うために出兵したマクシミリアンがメアリーと合流したのが、このゲントの街。二人は聖バーフ大聖堂で結婚式を行った。
ゲントへ向かう途中、マクシミリアンはメアリーへに皇帝の親書とダイヤモンドの指輪を送っている。そして、返礼にメアリーもマクシミリアンに感謝状と指輪を送った。
実はこのやりとりが婚約指輪の起源とする説もある。
ブルゴーニュ継承戦争に勝利したマクシミリアンはこのゲントにとどまる。メアリーは短く幸せな結婚生活の最中に落馬死、そして神聖ローマ帝国の帝都ウィーンがオスマン帝国に落ちる混乱の中で父フリードリヒ3世の後を継いで神聖ローマ皇帝となる。この後、ブルゴーニュ公国はハプスブルクの領土となり名も消える。
聖堂の中に入ろう。身廊と主祭壇の荘厳さは想像以上だった。
ゲントが生んだ彫刻家、ローラン・デルヴォーが1741年に作った「真理の説教壇」。
バロック芸術が見事にゴシック建築の中におさまっているのが面白い。
歴史に翻弄された名画、本来ある場所で見ることが出来る幸せ
紆余曲折を経ながら、現在は、それが本来あった場所、聖バーフ大聖堂の静謐な一画に飾られている。
聖堂への入場は無料だが、この祭壇画を見るのは有料だ(4 Euro/人)。
受付で料金を払い入った奥の小さな礼拝堂の中にその祭壇画はあった。
思ったよりも大きい。見上げるほどだ。天井まである祭壇画を見たのは初めてだ。12枚のパネルで構成されているが、下の中央部にはキリストを表す羊が描かれているためこの祭壇画は別名『神の子羊』と言われている。
いや、それよりもこの鮮やかさはなんだ?
15世紀に描かれたとは思えないほどみずみずしい色が素晴らしい。
精緻な細部の描写は見るものを圧倒する。フレミッシュ・プリミティブ(16世紀以前のフランドル絵画)の特徴である、細部にいたるまでの綿密な描写や豊かな象徴性には目を奪われた。
これだけ大きな祭壇画は持ち出すだけでも大変だ。ましてや美術展などで海外で出展されることなどまずありえない。
ルーベンスの絵などもそうなのだが、本来あるべき場所しか鑑賞出来ないほど大きな絵画は現地に行くしかない。
そしてその大きさにはちゃんとした意味がある。祭壇画が大きいのは、それが安置される聖堂の大きさに比例して立派である必要もあるだろう。
そして何もよりもここは神への祈りを捧げる場所。宗教的な意味でも神は荘厳でなければいけない。畏敬の念をいだかせるに十分なメッセージ性をもつためにこの大きさはどうしても必要だったのだと思う。日本の寺社の大きな仁王像や大仏坐像などと同じだ。
議論わく新しい子羊
修復中と聞いていたが、表の絵は全て見る事が出来た。 これまで修復作業が行われていた祭壇画の外側のパネルは2016年秋に聖バーフ大聖堂に戻され、続いて、「神秘の子羊」のメインのパネルを含む祭壇画の内側下段のパネルの修復に入るスケジュール。幸運にもその間の時期に見学出来たようですべての外側のパネルがあった。
ところで「絵が防弾ガラスに覆われている」「撮影NG」などと書いてある旅行記もあるようだが、訪問した際には防弾ガラスのようなものがあったのかどうか記憶があいまいだ。また自分も含めて撮影している人が何人もいたし、受付の人にも何も言われなかった。修復作業が終わり新たなビジターセンターが出来るような話もあったが、今はどうなっているのだろう。
ガラス越しに鑑賞するような記事をいくつか見たが、この絵が何度も盗難や破損の危機に見舞われた歴史と、その価値の重要性を考えると仕方がないのかもしれない。
古くは宗教改革時のプロテスタントによる聖像破壊運動にさらされ、何とか危機を逃れはしたものの、この祭壇画はナポレオン支配時代にフランスに持ち去られてしまう。さらに第二次世界大戦の間ナチスドイツが接収、あのノイシュヴァンシュタイン城に保存されていた。その後、敗色が濃くなったナチスによりオーストリアの岩塩坑で爆破されそうになった。この時、働いていた炭鉱の労働者たちが決死の覚悟で守りぬいた逸話がある。
そんな『ゲントの祭壇画』は2012年から8年をかけて修復されたが新しく表れたその羊の姿には議論沸騰といったところらしい。
無表情であった羊が妙に生々しくなり、しかも目がクッキリとなり神聖さが失われてしまったなどと言われている(引用:BBC NEWS)。
https://www.afpbb.com/articles/-/3179254?cx_part=related_yahoo
それでもこの絵画を『人類の至宝である5つの西洋絵画』に選んだ宮下氏は正しい選択だったと思う。フランドル絵画特有の素晴らしい色彩やファン・アイクの超絶技巧とあいまって、この大きな祭壇画は聖バーフ教会にあって、フランドルの中世の風を感じる場所で見るからこそ、その本当の価値を実感できる。
是非、再訪して修復なった新しい子羊を見たいものだ。
聖バーフ大聖堂:https://www.sintbaafskathedraal.be/
(2017.4.22訪問)